2016年01月24日
ブルーオキナワ 8)
沖縄宜野湾市長選挙が今日投開票される。現職で自民、公明推薦の佐喜真淳氏(51)と、新人で元沖縄県幹部職員の志村恵一郎氏(63)が伯仲しているという。端的に言えば辺野古移転を巡る「ニポン政府=推進派」対「オール沖縄=反対派」の一騎打ちである。
両派が拮抗している。そのことこそがウチナンチュの歴史的な境遇と複雑な思いを象徴している。辺野古を訪れたときにもそれは表に現われない生存の黙契として窺えた。ウチナンチュの自決権が推進派反対派のどちらに委れられるのか。ひとりのヤマトンチュとしては立ち入りがたいにしても、オキナワ大好きとしては気が気でない。
2016年01月21日
ブルーオキナワ 7)
ブルーオキナワが続かない。書きたいことは山ほどあるのにどう書いたら何を伝えられるのかぼんやり考えていた。そんなぼんやりを年明けに持ち越してしまっていたところ、先日1月11日、成人の日、土曜美術社出版販売主催の新年会を兼ねた『詩と思想』新人賞受賞式に出席した。今回は撮影スタッフとしてだ。
奇しくもだった。沖縄をテーマにして新人賞を受賞した青木由弥子さんの『わたつみ』という詩の朗読に間近でビデオを回しながら対面した。そのときなにか腑に落ちたような気がした。そうだ、沖縄を語るにはこんなふうに詩のようなカタチでしか語れないのかもしれない、と。
前の戦争の被害者でもあるが一級の加害者(対大陸をはじめ)でもあったわたしらヤマトンチュ、ただただその被害者となるしかなかったウチナンチュ、遠い歴史を辿ってもだ。海溝は深いのだった。
「わたつみ」 青木由弥子
第24回『詩と思想』新人賞受賞
とよとよとよ るゐるゐ とぷん
とよとよとよ るゐるゐ とぷん
沖縄の内海には濁音がない
ひとところにつもりゆく白い骨
のような珊瑚
一度は生きていたものが
この島を太らせていく
空と海のあわせめを
目の奥に引き寄せる
海からぞくぞくとあがってくる白い影
陽に照らされて泡にくだけ
波打ち際に打ち寄せる
押し寄せる声は
濁音に紛れ乱され
とよとよとよ るゐるゐ とぷん
とよとよとよ るゐるゐ とぷん
耳をすませれば皮膚が消え輪郭が消え
静けさに手渡されていく体も消えて
わたしの芯にせりあがる波
ずぶりと砂地に差し入れられた
アダンの気根
太い肌に触れれば熱を持って熱い
大地をつかみとる強さで
奥底からこみあげるものを吸い上げる
琉球松の葉は
太陽(ティーダ)のゆぴが編みあげた組み紐
黒松のように掌を刺すことがない
顔の無い塊りの風を押し返し跳ね返し
触れれぱやわらかに指になじむ
焼夷弾に燃え尽きたアカギの大木
根を割って伸ぴた新しい木が
押し開いてうねりのぴて
引き裂かれた傷からあふれだすみどり
とよとよとよ るゐるゐ とぷん
とよとよとよ るゐるゐ とぷん
空が傾いて押し寄せてくる
胸を裂いたような赤に呑まれ
ひた寄せる波音を聞いている
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つづく
2015年10月04日
ブルーオキナワ 6) 2015年夏
ことしの沖縄行はいつもと違った。
気象庁の沖縄梅雨明け宣言は6月11日だったけど、その後、梅雨前線が九州地方で長く停滞したせいで、慶良間に着いた6月28日になっても現地は梅雨から抜け切れていなかった。湿度が異常に高く、風向きも東の風が強く南の風はまだまだ先の気配だった。
そんなこともあって到着した翌日に体調を崩しちまった。沖縄行では初めてのことだ。
それでもいつものように海に潜ったり、あっちこち観光したり、そして辺野古にも初めて行った。辺野古の様子は複雑で簡単にふれるわけにはいかないので、"つづき"で詳しく書こうと思う。それはともかく体調がダウンビートなのに気分はハイだった今年の沖縄行。本土に戻ったら案の定、熱が出てしばらく寝込んでしまった。本土では戦争法案反対の声が海鳴りのように湧き起っていた。
つづく
2015年06月11日
ブルーオキナワ 5)
きょう6月11日、沖縄地方が梅雨明けした。とみられる。と沖縄気象台が発表した。
平年より12日早い梅雨明けだという。昨年は26日明けだった。ので、今年の沖縄行はそれに合わせて28日からの旅程を組んでいた。が、予想外に早く明け、胸中やや複雑だ。というのも、あえて梅雨明け直後の生まれたての美ら海を目当てにした旅程だったから。が、それは賭けでもあり、梅雨が長引いて旅程にかぶる恐れだってあったわけで、痛し痒しといったところ。
ともあれこの先2週間以上おあずけを喰らうわけで、その間、心中穏やかなはずがない。昨年は最初の予定が7月初旬だったが、みごと台風8号と鉢合わせして中止、延期した。いっそ住んでしまえばこんな綱渡りというか渡航不安ともおさらばできるのだが、その決心がまだつかない。
で、何をしに行くのかというと、まずは元気回復、イメージとしての里帰り(ぼくの本姓は島なのだ)、そして辺野古行。
「辺野古基金」には6月7日現在で3億円以上が集まり当面の目標(3.5億円)達成も間近のようだ。寄付額の7割ほどは本土からという。この額は立派だが決して多くはない。ネット上などで何に使うのだとことさらにあげつらい卑しめる者らが湧いているが、国内外に新聞全面広告を打つにしても1回で消えてしまう。要は陣中見舞いということだ。
(つづく)
2015年04月04日
ブルーオキナワ 4)
沖縄、辺野古の米軍基地建設への抗議活動がネット上でも本格的に始まった。
1.日本国政府-辺野古米軍基地建設に向けた埋立工事の即時中止を要請する
2.mcaf.ee/a2gd9
(1、2ともリンク先は同じ。パソコン環境によって適否があるので念のため。)
このサイトでこのメッセージのもと多くの賛同者の署名を募っている。呼び掛け人には大江健三郎氏、宮本憲一氏など著名な識者が名をつらねている。わたしはmixiを見て知ったのだが、4月1日からスタートしたらしく、わたしも署名した昨日3日には署名数5,000を超えていた。
多いのか少ないのか。選挙として考えたらとても多いとは言い難い。せめて50万人ぐらいになってほしいなあと妄想する今日この頃だった。
(つづく)
2015年03月26日
ブルーオキナワ 3)
もうすぐ四月。本土では桜の季節だが、沖縄はもう初夏だ。沖縄ではこの時期を「うりずん」と呼んでいる。ウチナーンチュ(地元民)が一年中でいちばん好きな季節だという。風わたり、デイゴの花開き、オオゴマダラの蝶が飛び交う。本島、離島の海開きもこの頃だ。あ〜居ても立っても居られないぞ。
と、そんなうれしいこの季節、あの美ら海に杭を打ち込み、コンクリートのブロックを沈め、サンゴ礁の破砕に躍起になっている無粋な輩がいる。本土大本営の号令一下。これが "我が軍"。美しい国やろっ。
伝統や美しい風土をことさら言い募る保守や愛国者はたいがい国威への渇望を奥に秘めている。いざとなるとその鎧が顔を出す。安全保障や国益をもろだして恫喝する。じつのところ彼らは沖縄をニポンの半植民地のように見下しているのだろう。
(つづく)
2014年09月16日
ブルーオキナワ 2)
沖縄から戻ったら、本土はずっと天候不順。各地で豪雨災害が頻発し、夏はどこへやら消え去っていた。沖縄にはじまり沖縄で終わった夏だったなあと、感慨深くしていたところ、きのうの夕方だった。時ならぬ蝉の声が休日の空に響きわたった。へ〜っ ?! ツクツクボーシだ。もう蝉はとっくに鳴き止んでこの頃はコオロギたちの天下に移ったはずが思いがけないツクヅク節。夏の終わりを律儀に宣告しているようでもあった。
なにかが終わった。あるいは終わりつつある。本土に戻るとそんな息苦しい空気が充満している。沖縄滞在中に連日目にした辺野古の実情が、本土ではほとんど報道されなかったことも後で知った。
本土では街を歩くと "禁" の字がやたらと目に付く。まあだいたいは後に煙とつくのだが...はは。新聞、週刊誌を開くと "特定秘密" だの "非国民" だの "国賊" だの死語だったはずの言葉が大手を振って行進している。この国はタブー社会に再び向かっているらしい。"オキナワ独立" のイメージが頭をよぎる。明後日はスコットランドの命運が決まる。
2014年09月15日
ブルーオキナワ
もう一年以上になるが気分が低空飛行を続けている。ネット・ワーキングもダウンロードならぬダウンビート。無気力といおうか、鬱なのか。気がついたらブログからも遠ざかっていた。そうだ 沖縄、行こう。暗いブルースから明るいブルーへ、って広告屋の能天気はまだ健在か。まずは7月初めに明るいブルー計画を立案したが、これは前に書いたとおり台風8号のおかげ様であえなく頓挫した。
懲りずにリベンジを図ったのが8月もお盆過ぎだった。こんどこそはとうちの本尊の朝顔に願掛けたせいか、幸運にもピーカンの青空に恵まれた。ひとまず元気を回復したのだった。
が、一方で沖縄は能天気の思惑とは別の深刻なブルーの渦中にあった。辺野古への米軍基地移設問題だ。滞在中、期せずして新基地建設に向けたボーリング調査がはじまり、住民の海上での抗議活動を海上保安庁が暴力的に排除したり "確保" する様子が連日、宿のテレビに映されていた。時を同じくして本土では記録的な豪雨による広島土砂災害が発生し、その凄まじい被害を伝えていた。同宿していた広島からの家族連れは急ぎ帰郷した。元気が夕べの朝顔のようにしぼんでいった。
つづく
2014年07月09日
台風
遠い南方から台風8号が列島方向へ、一筋の花火のように昇ってきた。顰蹙を買いそうな言い方だが。昨日は沖縄付近に最接近し炸裂した。これほど台風の発生と行方を日々追いかけたのは初めてだ。これまで沖縄を旅するにしても天候や台風に無頓着だったが、それはそれで運良くいつも好天に恵まれたものだった。行くとみるみる元気になるのだった。ホント
今回は違った。旅の直前に不穏な台風の卵情報が報道されていた。それでも出発日の6日、まあこれも経験と出発を決めていた。が、沖縄慶良間ではそれどころではなかった。宿から連絡が入り宿泊はムリと。渡しのフェリーも欠航判断を迫られていた。
ここ何年か毎年ずっと続けてきた沖縄行。海上の道が一筋縄でないことをあらためて痛感した。
2014年04月03日
ビールが飲めない夢
ビールをめぐる長いながーい夢をみた。ふだんの夢は短く支離滅裂でほとんど忘れてしまうが、これほどひとつの主題を引きずって延々と展開した(ように思えた)夢は初めてだ。なぜか中上さんが登場する。
パーティ会場にいる。寝転んでうたた寝をしていたらしく、目覚めて見上げると辺り一面たいへんな人混み、というか足並みだ。喉が渇いてビールでも飲もうと立ち上がって料理コーナーを目ざすが身動きがとれない。ようやく人だかりが引いて料理コーナーに辿り着くがもうほとんど何も残っていなかった。ビールの影もない。仕方なく近所になじみの酒屋があったはずだ(コンビニのなかった時代らしい)と、急いで向かうが夜遅いせいか店は閉まっていた。町中を走り回りなんとか開いている店を見つけてビールを注文する。が、こちらの希望するブランドがない、そのブランドと似たこんなビールはどうかと、知らないビールをすすめられる。とにかく喉を潤せればいいとOKするが、ちょっと待ってくれとお預けを食う。準備があるからと。それからどれくらい待たされただろう。イライラしながら催促すると 、まだ冷えてないからと、9時半頃(?)まで待てと。ジョーダンジャナイ、踵を翻し、また走り回る。
顔見知りのグループに遭遇する。さっきのパーティの帰りらしい。事情を話すと、それなら中上さんの家の近所に遅くまで開いている居酒屋があると言う。中上哲夫さんは知ってますかと訊くので、ええ、よく知ってますが、と答える。じゃあみんなでそこへ行って呑みましょうということになる。中上さんの家はものすごくわかりにくい場所にあり、道のりもひどく険しいことを知っている。が、焦りながらもやむなくそこへ向かう。途中、崖伝いに昔のビルの工事現場の足場のような木の板を踏み下るのだが、それがまたつづら折の階段状になっていて危険きわまりない。それでも全員なんとか無事に渡り終える。着地するとそこは暗い路地だった。見覚えのある居酒屋が見えた。が、そこも生憎閉まっていた。仕方がないので中上さんの家に行こうとするが、そこからの道順がわからない。
ワープしたようで幹線道路の脇にいる。ここからが近道だよと誰かが言う。振り返るといつのまにか熊さんがいる。そういえば見覚えのある光景だ。そこからどう辿ったのか、幹線道路を外れ路地裏のような道を巡り巡った先に小高い崖があり、その崖の上で中上さんが手を振っている。あれ?ここだったっけ?崖の上に出るとそこには大きな屋敷がデーンと構えていて、舞台のようにせり出したベランダの上で半裸の女が妖しい舞を踊っている。端のほうからこれまた半裸で弁髪の大柄な男が現われ女となにやら掛け合いをはじめる。わたしたちは思いがけず観客にされ見とれている。気がつくと中上さんは観客の側にいていっしょに眺めている。喉が渇いてしかたがない。