7月14日の夢(最後のリサイタル)

 久しぶりにホールで声楽のリサイタルをすることになった。だが、プログラムに印刷された曲の殆どはぼくの知らないものばかりだ。前半はなんとかこなしたが、休憩時間に頭を抱えてしまった。もうプログラムの中に知っている曲がないのだ。女性スタッフが「客入りはどうですか?」と声をかけてくる。「二階はまあまあ入っているんだけれど、二階席はぼくからは目に入らない。よく見える一階席はがらがらです」とぼくは答える。
 もう休憩時間を十分間もオーバーしてしまった。これ以上、うじうじしていられない。ぼくは意を決して、一階から二階、そして舞台へと続く壁際の坂道を、駆け上がっていく。そんなぼくを客たちが拍手で応援してくれる。意外にも客席はほぼ満席だった。一階席を登り切って、道は右の壁際から左の壁際へと移る。こちらはまるで神社の山門に続くような石段である。しかも、そこを二台の白い車が降りてくる。困ったなと思っていると、ぼくの姿に気づき、二台の車は次々とUターンして、道をあけてくれた。
 そして、ぼくはついに舞台にたどりついた。マイクの前に立つ。もういいじゃないか。プログラムに書かれていなくても、後半はぼくが子供のときから歌い込んできた、好きな歌をうたおう。「次の曲は〈涙をこらえて〉です。これはダークダックスがロシアに演奏旅行したとき、向こうで採譜した曲です」と前置きして、ぼくは歌い始める。少しだけ間違えたけれど、なんとかぼくは歌い終える。盛大な拍手が湧きおこる。これでいいのだ、とぼくは思う。今日はぼくの最後のリサイタルなのだから。

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