9月24日の夢(思い出の大河を下る)

 会社で、そこに勤めていたいろいろな人の思い出話をもとに、ある老舗の年代記の本を作っている。ところが、年老いたT氏の証言をもとに書いた部分が、校正の途中で他の人たちから誤りだと指摘された。どうも同氏の記憶自体が間違っているらしい。急いで書き改めなくてはと焦るが、会社にはいろんな人たちがやってきて、周りでがやがやするので、集中できず、どうしてもうまく書き直すことができない。
 目が覚めると、ぼくはどこか地方の原野に、布団を敷いて寝ていた。細かい雨が時折落ちてきて、少し寒い。曇り空を黒いものがいくつも旋回している。あれは鳥だろうか。
 死んだはずの母がまだ生きていて、でも高齢でよぼよぼしている。ぼくに「円盤(UFOのこと)におまえはどこで遭うか?」と尋ねる。ぼくは驚いて、「おとなになってからは遭ったことがない」と答える。母は「わたしは最近見るようになった」と言う。ぼくは母のお迎えが近づいているのかもしれない、と思う。
 パーティーか何かの会場で、トレイに入った食事の残りを、出口で二人の男が管理しているゴミ箱に半分捨てるが、半分はそのまま持って、外に出る。二人もちょっと不審そうな表情だったが、ぼく自身、なぜそうしたのか分からない。とにかく、残飯をどこかに捨てなければいけないが、そこは明るく賑やかな原宿の裏町で、たくさんの若者たちがいて、こっそりどこかに捨てるのは難しく、ずっと持って歩く。
 そのうち、道の左側に木製のベンチがずっとつながっているようになる。これはこの場所が湿原につながっているからで、このベンチの上を木道がわりに歩くのだ。そういえば、右手には高速道路のようなものが二段になって続いている。その上を流れているのは車ではなく、濁流だ。その濁流が波を打って流れる勢いで、高架そのものが波を打っている。周りの人たちはみんな怖がって、キャーキャーと叫ぶ。
 いつのまにかぼくたちはその濁流の流れの上に乗って、ジェットコースターのように進んでいる。この流れは思い出の流れなのだ。それもぼくらの家族の幸せな思い出だけが、流れているのだ。今はぼくがまだ子供だった頃のお正月あたりだ。隣にいた母が「この頃はおまえは漫画を描いていたんじゃなかったかい?」と言う。そうだ。幸せな思い出に乗り続けるためには、その思い出を演じ続けなければいけないのだ。ぼくは慌てて紙を取り出すが、筆記具がない。母がボールペンを貸してくれた。ぼくは必死で、適当な紙の上に漫画を描くまねをする。濁流にどんどん流されていきながら。(夢ここまで)
 以上は、今朝見ていた長い夢の断片的に覚えていた部分です。夢日記は30年ほど書き続けているのですが、数年に一回、ちょっと創作を入れればそのまま詩にしてもいいなと思う夢を見ます。上記もそんな感じでしたが、現時点では一切の創作は入れていません。見たままの夢の記述です。

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