5月14日の夢(しっちゃかめっちゃかな夢)

 会社にいる。外が騒がしいので出てみると、前方の建物に突然巨大なスクリーンが出現し、そこにCMの映像が映し出される。スクリーンの前には舞台がある。その左袖にH弁護士の姿が見えたと思うと、すぐ引っ込み、今度はスクリーンの左端に登場する。そしてデスクの上のものを跳ね飛ばしながら、新商品の宣伝をする。どこかの土地会社が広大な敷地を買収して、都市再開発が行われるらしい。それらのCMの後「〇〇ちゃん大冒険」というドラマが上映される。どうやら作家のRさんがモデルらしい。
 突然映写が終わり、会社の中は日常に戻る。ぼくは借りてきた100個ほどの化粧品の見本を返しに行きたいが、どれをどこに返しに行けばよいか分からない。それを知っている同僚を呼ぶが、その人がどこにいるかも分からない。

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5月13日の夢(椅子と座卓)

 昔勤めていたS社のオフィスにいる。同僚たちが誰もいないので、少しだけ模様替えすることにする。自分の席は階下へ降りる階段脇にセットし、部長席は右奥に置くことにする。そこへ同僚が入ってきて、部屋を見回し、「部長席以外はデスクが低い。これでは仕事しづらいですね」と言う。言われて気づくと、ぼく自身の席をはじめ、デスクは座卓である。椅子に座って、座卓の上のパソコンを打つのは確かに難しい。困ったなと思う。

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5月12日の夢(久しぶりの取材)

 ぼくは今静岡県で暮らしている。久しぶりにクライアントから東京港での取材の依頼があった。港に停泊している船について取材し、それを来月16日発行のPR誌に載せてほしいという依頼だ。手配するカメラマンの候補を考えていると、その人ではないが別のカメラマンからちょうど連絡があり、彼に頼むことにする。ライターを依頼しようかとも思うが、締め切りを考えると自分で取材して書いた方がよさそうだと思う。
 年に一度しかヴァイオリンの演奏会を開かないヴァイオリニストがいる。ちょうど昨夜がその演奏会だった。もう彼女の演奏を聴くチャンスが今年はないのだなと思っていると、ぼくのいるコンサートホールの客席に彼女が座っているのを見つけた。彼女はやおら立ち上がると、ヴァイオリンを持っていないのに、美しく緊張感ある音色で無伴奏ヴァイオリンソナタを演奏し始めた。唇が動いている。声で演奏しているのだろうか。

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5月8日の夢(昨日の続き)

 昨日の夢の続きらしい。
 妻のライブ会場のバックヤードに行くと、来場してくれた観客にお礼として渡す品物の見本がダンボールに入れて、沢山置いてある。「検討するために家に借りていってよいか」と尋ねると「よい」と言う。早速宅配便で家に送る。
 家の畑は早春の雪解け状態で、まだ雪があちこち残る中、草花も生えていて、とてもさわやかだ。その畑の上に沢山のダンボールを並べ、妻と二人で中身を一つ一つ点検していく。中身の中には時鮭や野菜、鉢植えの花などもある。最初は「よい」と思うものに印をつけていこうとするが、不適当で送り返したいものに〇印をつけていく。ダンボールに〇をつけるのは簡単だが、野菜に〇をつけるのは難しい。特にシクラメンなどの花は我が家の畑にもう植えてしまっている。これは返さなくてもいいかと思う。

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5月7日の夢(妻の公演)

 妻が小さなライブ会場を借りて、初めて自分のパフォーマンスをすることになった。会場は普通の会議室のような感じで、100席近くの椅子が前を向いて並んでいる。といっても前方にステージや演壇があるわけではない。妻は客席の真ん中あたりに座って演技している。とりたてて何かをしているふうにも見えないのだが。初日の公演である今回は、観客は30人~40人ほどで、若い女性の姿が目につく。ぼくは入り口近くの通路の床に座って、妻の演技を見ている。
 今日は二度目の公演の日だ。同じ会場だが、客席は八割がた埋まり、人気が出てきたようだ。妻も自信を持って演技しているように見える。公演が終わった妻をねぎらいながら、ぼくは「どこでこんな公演の練習をしていたの?」と尋ねる。妻は満足そうな充実した表情をしている。
 会場の屋上に出る。眼下に田植えを控えた水田だろうか、青空のうつる水面が広々と広がっている。水田の中に荷台まで水没したトラックが何台も見える。その一台はこれからステージに立つ出演者のための道具を運んできたもののようだ。

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5月5日の夢(ウクライナへの配達)

 ぼくは毎日一回、バスでウクライナへ荷物を届ける仕事をしている。ほとんど手紙ばかりだが、今日はぼくの配達したものの中に一頭のヒョウがうずくまっている。銃を携えていて、このヒョウはスナイパーらしい。

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4月24日の夢(駅を探して)

 夜の路地裏を駅を探して歩いている。途中、あちらとこちらを隔てる腰までの高さの鉄柵があり、その扉は閉じられていないので、ぼくは「道路のはずなのに、なぜこんなところに柵があり、何と何を隔てているのだろう?」と不審に思いながら、その柵の向こう側に出て、なおも歩く。空腹感もある。
 前を歩いていた中年の男たちがぼくを振り返り、「高円寺駅はどこですか」と尋ねてくる。ぼくは「さあ、ぼくはこの辺の者ではないので」と一瞬ためらうが、直観で「この先が駅ではないですか」と指さす。男は「いや、さっき訊いたら、あそこは〇〇〇〇だと聞きましたよ」と反論する。ぼくは「だって、ほらそこが駅じゃないですか」と、右上を指さす。暗い民家の屋根の上にプラットホームのシルエットがあり、そこに何人かの電車を待つ乗客たちの姿も見え、ぼくはとょっとほっとする。その右手のホームにはポールのついたチンチン電車が止まっており、まるで昭和初期の駅ようだ。驚いてさらに左に目をやると、ホームはL字型に曲がっていて、現代の電車が止まっているのが見える。
 その電車に乗って、昨夜の撮影現場に戻る。そこは四谷あたりの公園で、昨夜はここで大がかりなCM映像の撮影をぼくらはしていたのだ。舗道のあちこちに大きな叢があり、そこからいかにも業界人といういでたちの瘦身の老婦人がよろよろと立ち上がる。二日酔いらしく訳の分からないことをわめいており、通行人の男性にからんでいる。立ち上がると、驚くほど背が高い。よく見ると、全身がマトリョーシカ人形のような木彫りで、その胴体だけが縦に幾層も連なっており、なんだかトーテムポールのようにも見える。

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4月22日の夢(全社で貫徹する日)

 今日は年に一度の恒例行事、社員すべてが完全徹夜をする日だ。社長のМがぼくに「今病院に行ってる?」と尋ねる。「行ってますけど、成城の病院ですよ」。「それってT病院?」 言い当てられて(現実にはそんな名前の病院に行ったことはない)、ぼくは「どうして分かるんですか」とびっくりする。「ぼくも行ってるからさ」と、Мは平然と答える。
 そしてぼくにクラシックで重たいカメラを手渡し、今夜の完徹デーの記録を撮るように言い渡す。妙に横長の長方形の視野のカメラだ。ぼくはそのカメラを持って社内の各部屋を回り、社員たちの姿を次々と写真に収めていく。不思議なことにほぼ全員がぼくの知らない人ばかりで、特に北半球のさまざまな民族のさまざまな年齢の男女が嬉々として、完徹デーを楽しんでいる。圧倒的なヴァーチャルリアリティで部屋半分が異界になっている部屋、ネイティブの人々が大自然の中で生き生きと暮らしている部屋もある。しかし、社長から預かっているカメラは使い慣れず、シャッターを深く押し切れないので、ちゃんと撮れているかどうか自信がない。
 ついに夜明けの時間が来て、水平線から美しい太陽が昇ってきた。窓から社員たちがそれをカメラに収めている。ぼくも撮ろうとするのだが、画面に社員たちの頭が大きく映り込んでしまい、ついに撮ることができない。
 社外に出ると、地面の上には毒蛇や毒虫がうじゃうじゃと蠢いている。ここは大丈夫と思って足を下ろすのだが、そこにも何物かがいる。ぼくは恐怖にかられながら、毒蛇と毒虫の平原を走り抜けていく。

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4月20日の夢(新居と軽いピアノ)

 新しく引っ越した家にいる。築数十年くらいの日本家屋で、二階建てだが家具などはまだ置かれていない。妻が外出したのでひとりで留守番していると、玄関にトラックが横付けされ、二人の男がグランドピアノを階段下に運び込んできた。ぼくは困惑して、「こんな重い楽器はこの家に置けないよ」と文句を言う。しかし男たちは「これはビニール製の一番軽いピアノだから大丈夫」と意に介さない。
 突然、玄関の左側の白い壁だった部分が隠し扉のように開き、どっと人々がなだれ込んできた。家を見回しながら、「新しい会場はここに違いない」と口々に言う。ぼくは「ここは違います」と言いながら、必死で人々を外に押し出す。
 今度は玄関の外で「わーっ」と大きな声が上がった。誰かが殺されたらしく、大騒ぎになったところに、やっと妻が帰ってきた。さっきのピアノ業者も戻ってきて、ピアノの調律を始める。
 ここは外国だった。ぼくら夫婦は団体旅行の一員となって日本に帰ることになる。最後の点呼が金属製の外階段の踊り場で行われている。ぼくの前に鉄の柵があり、ほかの人々とは隔てられている。柵の向こう側の人々は掌の中に白いハンカチのようなものを持っていて、その真ん中に赤い花のような点がある。ガイドの制服を着た女性が「これが切符ですから、なくさないでください」と言っている。しかしぼくだけが遅れてきたので、「ぼくは持っていません」と大声で呼びかける。するとガイドはぼくと妻の分の切符を柵越しに手渡してくれた。階段の横に黄色いバスが横付けになった。さあ、これでぼくらも日本に帰るのだ。

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4月18日の夢(おばあさんの牽く馬車)

 夜の修学旅行に参加している。乗り物は馬車だ。馬車を牽いているのは、なんとおばあさんだ。目の前に京都の大きな寺院の門が迫ってくる。大門の段差をおばあさんの力で越えられるのか、とても心配するが、おばあさんは難なくそこを突破する。改めて眺めると、馬車を牽いているのはたくさんのエスキモー犬の群だったので、ほっとする。
 帰宅して妻と夜の団欒を楽しんでいる。いつもはテレビをつけているのだが、今日はラジオが流れているのが、とても新鮮で、幸せを感じる。

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