洪水企画「みらいらん15号」が発行され、昨年11月初めの個展中に受けたインタビューの記事を載せていただきました。絵の世界に入るきっかけについて、これまでの画歴について、玉井國太郎さんのジャズと私の線描について少し話しています。よろしければご覧になって下さい。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
洪水企画「みらいらん15号」が発行され、昨年11月初めの個展中に受けたインタビューの記事を載せていただきました。絵の世界に入るきっかけについて、これまでの画歴について、玉井國太郎さんのジャズと私の線描について少し話しています。よろしければご覧になって下さい。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
11月の個展、急に決まりましたので、とりあえず「今の私」ということで開きましたのに、沢山の方にじっくりと作品を見ていただき、本当にありがとうございました。
私は新作を考える時にAとBを対のようにして考える習慣があります。しかし今回、あの空間にはA、B、C と3つの作品が必要と初めて思って、個展の間中、3番目のC について考えておりました。個展後、すぐ 取り掛かって1ヶ月、何となく「かたち」になってきましたので、これで新年が迎えられそう、と一旦休止にしたところです。これから10日間は掃除やお正月の仕度をしなければ、、、
一旦休止の原因はもう一つあって、我が家の玄関横にある紅葉が散り始めたのです。もう古い樹で年によって違いますが、落ち葉が大袋3〜5杯は散ります。どれ一つとして同じ葉はなく、赤、黄、緑、オレンジと様々な色が混ざり、精一杯の美しさを見せて散っていく。見事な生涯だったね、と言ってやりたくなります。
個展の案内状ができました。
画廊との相談の結果「秋の足音B」2024 162.1×130.3cm Acrylic & Pencil on canvas
で作りました。どちらが良かったでしょうね、、よろしければ会場で確かめて下さい。
コバヤシ画廊は、銀座大通りの、松屋の角を入り、王子ホールの斜め前、coffee shop の一軒おいて隣、レンガ作りのビルの地下1階 です。お待ちしています。
急なお知らせで申し訳ありません。特にこの春、ある集まりで沢山の方に来年の日程を発表してしまいました。それを記憶していらした方、お許し下さい。変更になりました。写真撮影もこれからなので、私の素人写真ですが、upします。よろしくお願い申し上げます。
井上 直 展
2024.11.4 Mon. – 11.9 Sat.
11:30 – 19:00 Last Day 17:00
コバヤシ画廊
〒104-0061 東京都中央区銀座3-8-12ヤマトビルB1 TEL 03-3561-0515
「秋の足音A」 2024 1620×1940 Acrylic & Pencil on canvas
「秋の足音」は後期高齢者の感じる「秋」です。残り少ない時間。何もかもが終わりに近づいている予感。壊れた砂時計の砂がばら撒かれたような地面を眺めながら、これでいいのか、やりたいことは皆したのか、と問いかけている自分が居ます。
「玉井國太郎詩集」が発刊されました。及ばずながら絵を2点提供させていただいています。亡くなって13年、ご本人の才能は勿論のこと、妹さんの友田裕美子さんを中心に沢山の方々の力が集まって立派な詩集ができました。一人でも多くの方に読んでいただきたいと思っております。
洪水企画 価格:税込¥2200
玉井さんについては以前このブログで取り上げたことがあります。亡くなった翌年のことでした。
「玉井國太郎さんのこと」
「ユリイカ」9月号に、昨年春50才で逝った、玉井國太郎さんの詩6篇が載り、多和田葉子さんが追悼の言葉を寄せていらっしゃいます。
私は玉井さんをジャズ・ピアニストとして知りました。1980年代、私は鉛筆を使って身の回りのものと向き合い、じっくりと対話していくという仕事をやっていて、その傍ら、鉛筆の線を走らせることで瞬間をとらえ、二つを対比させて「時間」を目に見えるものに変えてみたい、と思っていました。「line—line」と名付けた、この「線のデッサン」をするために、あちこちのライヴ・ハウスで色んな音を聞かせてもらいましたが、透明な音の粒が疾走していくような玉井さんのピアノは、私の求めていたスピードに合致していました。
玉井さんが詩も書いていらっしゃる、ということは、詩人の、故・永塚幸司さんに教えていただきました。永塚さんが H氏賞をとられる前後だったと思います。永塚さんは、玉井さんの詩を、心から尊敬していらっしゃいました。また玉井さんは、永塚さんの死を、涙を流して悔しがっておられました。二人とも、類いまれな才能に加えて、「決して群れない資質」を持っていらした。
生き急いだ二人のことを思うと、「孤独」は人の心を蝕むのかもしれません。しかし、「表現」と「孤独」は切っても切れない関係にある。永塚さんの詩も、玉井さんの詩も、個人の「孤独」を突き抜け、全ての人の中にある、生きること自体への「寂寥感」に到達していると思えてなりません。それは西脇順三郎氏の言う「詩情」—神秘的な「淋しさ」—に近いものではないでしょうか。
彼らはちゃんと仕事をして逝きました。私は、残った者として、どれだけの仕事ができるのかと思います。
「ルフラン」 玉井國太郎
てのひらのうえ
漂流する恒星たちの
少しずつ違うひとつの名前を
泡立つ空隙のへりに
呼びとめる
明日もまた—
空に向かって
墜ちずにいることの痛みに耐えている
ただひとりの夢のなかの
ひとりひとり
歩み続けることに
深々と食い込み
消え去る重みをなくした沓音
世界を曇らせない息
の多面体
みずの悪意に染め抜かれて
みだらな青に座礁するくちびる
二度目には
氷晶に似るもの
「世界のいたるところで花が咲きました」
時の畝に
色とりどりの
痛ましい楔
うたうことのほてりが
つめたい石の影にくるしみ
ふるえて
風を生み
おちる
包み合うことの
重みにつかれて
世界のいたるところで
ほのおが
絶え間なく手を孕み
虚空に振り付ける
花の住み処
挿し入れられた徴しを刻んで
耳は翼を持つ
ひとつしかない名前の下で
燃えさかるため
明日もまた—
今年は元旦に能登地震、2日に航空機同志の衝突炎上事故とブログ更新も憚られる状況でしたが、皆さまはお元気でいらっしゃいますか。私はおかげさまで比較的元気です。5月の個展後に取り掛かった「秋の足音A」(130号)が年末に一段落し、B(100号)もどうやらやれそうだと目処がついてきたせいか、年末に出会ったある言葉のおかげか、「できる間に自分を信じて冒険するんだ!」と自分を励ましています。出会ったのは次のような言葉です。
「画家や彫刻家が風景の中や記念像のすぐ近くに人物を配置するとき、それは付属物に対する好みからそうするのではない。人物は比率を与え、さらにこれはもっと重要なことだが、さまざまな可能な観点を構成し、このあり得べき観点が、必要不可欠な潜在性を持つ観察者の観点を現実の観点につけ加える」ミシェル・トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』(榊原晃三訳 岩波現代選書)
今年は初個展から42年、「白衣」を入れ始めて32年になります。「白衣はいらない!」「白衣さえなければ、、」「白衣がなくても同じことが言える。」「白衣」は山のように否定されてきました。でも出来上がった風景に「白衣」を描き込んだ途端、そこに居る私は他者を巻き込んだ普遍的な「人間」になる。そのような存在に代わるものは他にないのです。私は哲学者ではないので、それをうまく説明できなかった。それをミッシェル・トゥルニエさんは説明してくれたような気がしました。本ってありがたいですね。もうしばらくは「秋の足音」を頑張ります。それからちょっと冒険、、2025年9月にまた見て下さい。
これまでずっと新作のみで個展を開いてきましたが、今回、新しい空間で、しかも新旧併せての展示になり、大丈夫かなと緊張しておりました。思いがけず多くの方々にご覧いただき、温かいお言葉も頂きまして、ありがとうございました。
正面に展示されていましたのは
「森林におおわれて A」”Covered by the Forest A”、2003年、1940×3500、Acrylic & Pencil on canvas
私がポーランドからの帰国後半年して描いたものです。 傷だらけの大地をどうやって表したらいいのか悩んで、文字通り傷をつけてみることにしました。 20年経って、改めて眺めてみると、昔の屏風にも見え、自分が日本人だなぁ〜と思います。
2年程したら、また発表させていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
この春、新しい画廊で個展をさせていただきます。
昔の絵なのに、何故か「今の絵」にも見えます。絵の持つ「普遍性」というものを
考えさせられます。
2023.5.15(Mon.)ー20(Sat.)
11:30a.m.ー7:00p.m.
日曜休廊
コバヤシ画廊
〒104-0061 中央区銀座3-8-12ヤマトビルB1
Tel 03-3561-0515
このブログの新しいシステム Word Press に慣れて、ブログを Upload できるようになるまでに少し時間がかかりました。お許し下さい。2021年暮れの個展の後、私は「兆しだけになった羽ばたきB」(162cm×194cm)を描き始めました。
「兆しだけになった羽ばたきA」(162cm×162cm)
Bはまだ撮影をしていなくて、これは個展で見ていただいたAですが、スパルタの遺跡の上を白衣たちが飛んでいます。約3000年前の「戦の民」が今の私たちを見てどう思うだろうかと思ったのです。確かに文明は進歩し、剣はドローンやミサイルになりましたが、隣国を侵略していることには変わりありません。近い将来、アジアにも新たな戦いが始まる恐れもあるらしく、私も心の中が常に波立つような状態が続いています。四苦八苦して「兆しB」を仕上げた時はもう8月になっていました。暑さのせいもあったけれども体力が落ちたことを自覚せざるを得ませんでした。それまでただ習慣としてやっていた筋トレや walking を本気でやり出しました。年をとった人間には体力保持が基本なのだと思い知らされました。そして「25時のアリア」を25年ぶりで収納庫から出して訂正に入りました。
「25時のアリアA B」(162cm×194cm、共に和紙に鉛筆のドローイング)
48~49才の私は未熟なところも多いのですが、エネルギーが溢れていたのか、今思うと果敢な挑戦をしています。私の絵に必ず登場する「白衣」は、「すんなり受け入れて下さる方」と「ちょっと受け入れ難いと思われる方」に分かれます。でも「25時のアリア」を描いていると、「白衣」でなくては言えないこともあるはずと思えてくるのです。
ようやく仕上げた後、10月から今に至るまでは「秋の桜」に入っています。戦争とコロナと私自身の残りの時間、、その全てに追いかけられるように描いています。この時代に求められているものを描いているのかどうかは分かりません。たとえズレていたとしても、私は紛れもなくこの2023年の空気を吸って、絵を描いていたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いします。 井上 直
2022年1月10日に水野るり子さんが静かに旅立たれました。Fiddle-Faddle8号が届き、荒川みや子さんが以下の追悼詩をささげていらっしゃいます。私たち、皆に大きな影響を残された詩人でした。ご冥福をお祈りします。
窓 水野るり子へ
荒川みや子
まとっていたものを
そっと ぬぎ捨て
あなたは
逝ってしまった ひとりで
冬の
つめたい光の端を 髪に止め
香り草の束を
枕もとに置いたまま
開け放された 西の窓から
海が見える
今日と明日の境をこえて
一角獣が ひっそり
見えない虹を渡っていく
とぎれなくつづく 夢のかけら
書かれなかった 言葉のゆくえ
生きものに降りかかる 雪のような哀しみ
石畳の町に 靴音がひびいて
貝の化石は ふかい眠りにつく
波の帆が ゆっくりと上がる
残された私たちをうながしながら
はやく 次の朝を迎えるように と