結核菌と私は浅からぬ縁がある。 母方の祖父は結核で亡くなっているし、父も、私が8才の時、結核で片肺の3分の1を切った。 父の膝に乗っていた私も、随分菌をもらったのだろう、、ツベルクリン注射の跡は赤く腫れた。
私が12才になった時、好き加減が尋常じゃないと思ったのか、母は、豊中市在住の画家小出三郎氏のところへ私を連れていった。 氏は私の絵を見て、「この子は何か持っているようだ。 今からやれば、大丈夫。」とおっしゃった。 その日のことは忘れない。 庭にバラが咲きみだれていた。
ところがその夢は、ほどなく、見事にしぼんでしまった。 小出画伯が結核になられ、刀根山病院に入院されてしまわれたのだ。 私は母に連れられ、当時はまだめずらしかったトマトを持ってお見舞いに行き、絵の道に進むことをあきらめた。
その後、私の体内の結核菌は、高3の時ちょっと勉強をしただけで暴れだし、私はろく膜になってしまった。 皆は勉強しているというのに、4ヶ月も休学するハメになり、人生からドロップアウトしてしまったような気がして、私は本ばかり読んでいた。
私が再び絵を始めたのは30才を越えてからだが、私には、自分に残された時間をいつも数えているようなところがある。 いつ何がおこるか分からない、と何だか思うのだ。 それも結核菌のおかげだと言えないこともない。
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私も若い日に結核になって気胸などしつつ、通学していたので、なんとなくその気持ちが分かります。20代もずっと精神的後遺症を抱えていたかも。それにしてもそのころもっと本をよんでおけばよかったなあ…。今は絶対的時間不足なので考えてみれば若い頃って、時間にゼイタクでしたよね。