この時期になると、今年2月に逝ったゲンナジイ・アイギの「冬まぢかのレクイエム」を思い出す。
声に出して読んでみたくなる。 私はチュヴァシ語は理解できないから、たなかあきみつ氏の訳に頼る他はないのだが、並み大抵のことではこのような緊張感が生まれるはずもなく、まさしく名訳に違いないと、思うのだ。
ゆっくりと読んでみると、寡黙な、でも重い言葉が、静謐な世界に広がっていく。 詩の表面と詩人の内奥との間に距離があるので、音が響く。
詩集から顔を上げて、窓の外に目をやり、背筋をしゃんと伸ばすと、、、私もまた冬を迎える準備ができるのだ。
「冬まぢかのレクイエム」 B・L・パステルナークを偲んで 1962年
ゲンナジイ・アイギ (たなかあきみつ訳)
野辺送りの途すがらわたしはしじまの合唱のようにふと立ちすくむだろう
わたしはあのおごそかな空間に終日留めおかれたもの
冬のりんれつなひざしの移ろうところに
煤と紛うばかりに
ところが時間はひとりでに生成し
物乞いにいそしむ雪が舞いつのる
そこここの修道院の門扉のあたり
外からのいまこそ支えとなるのは
道行く人びとのかけがえのなさ
ところが世紀の水準はもはや確認ずみ
栄誉の水準がもとめているのは
顔をしじまへと向けること
懊悩の本ではなく懊悩のアトラスこそ
卓上のひそやかさのうちに収納される
ところが一年は煤のように家々に触れるだろう
本という本がばらばらに引き裂かれてしまったも同然の旧世紀にあって
どのページもひたすらもとめるだろう
切取線とたび重なる折り込みを
わたしの袖ごしに
その袖口には寒気その傍らには窓その向こうには
雪だまり門扉家また家
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