水野るり子さん主宰の「ペッパーランド 32号」に、荒川みや子さんが私の絵について書いて下さった。 荒川さんは、「森の領分」、「冬物語1983」、「つる性の植物あるいは空へ」の詩集を出された詩人だ。
絵を描く人は皆よく似た状況だと思うが、毎日古着に絵の具まみれのエプロンをつけ、何時間もキャンバスの前にいる。 うまくいく時ばかりではない。 うまくいかない日が続くと、自分が何をやっているのか分からなくなる。 でも、思いがけずこのようなことがおこると、もしかしたら、自分は幸福な人間の中に入るのかもしれない、と勇気づけられる。 荒川さん、ありがとうございました。
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遮断された風景をぬけて
—2004・井上直展より—
人はどこからきてどこへいくのか。この永遠の問いかけ
が私たちの体内にたえずひそんでいるらしい。たとえばそ
れが、信号を渡る一瞬であったり、愛するものと一緒に夕
日をながめている時であったり、音楽を聴いている瞬間で
あったりする。
が、それぞれの場はともかく、潮の満ち干のリズムに似
たこの問いは、果てしなく繰り返される生と死へのオマ—
ジュでもあるのか。
井上直さんの絵の前に立つと、私はしきりにこの思いに
捉われる。静止した時が、過去から紡ぎだされる人間の日
々をさらしてしまうような、そんな内なる中へと。
2004の春、はじめて直さんの絵を見たのは、京橋に
あるア—トスペ—ス・ASKでの個展だった。友人の、る
り子さんに誘われて、連れだってでかけたのだ。きっと、
あなた、気にいるわよ。るり子さんは何気なくおっしゃる。
彼女は詩を書くひとで、その詩は滅んだ生き物や、答えの
ない×印がでてきたり、獣や植物がひっそりと、薄暗い星
雲の中でただならぬ気配につつまれているという、とても、
なにげなくとはいかない難解ものなのだが、その、難解さ
んと二人ででかけたのだ。
階段をのぼって、ドア—を開けた時から、私はぽかんと
なって、直さんの作品のひとつひとつを見ていたのだと思
う。
内側がまっ白で、大きな箱のような画廊の空間に、すべ
て、森の樹木、を描いた絵が掛けてある。大きなものは、
194×350センチ、中くらいのものは145×194
センチ、小さいのは51×92センチと三種類の大きさだ。
この大、中、小のキャンバスの組み合わせがとてもいい。
全部の絵が森の樹木だから、大きいのも、中くらいのも、
小さいのも、個として起立していて清冽にひびく。
材質はアクリル絵具である。このアクリルの透明度と速
乾性が、彼女の資質とうまく溶けあっていると思う。職人
のような手触りで描かれた、線と色彩の対比は抑制がきい
ていて、無音であり、しつこく絵具をかさねて主張しなく
ても、そこに立てば森の樹木は存在する。そういうことな
のかと気がつく。
おもしろいのは、森の樹木を描いているのだが、描く対
象が二つの風景に、きっちり分かれていて異なることだ。
『森林におおわれて』と『かれらのなかに土があった』、
それぞれにこの題名がついている。象徴的な意味あいをも
つこのタイトルを、パウル・ツェランからもってきたとこ
ろに彼女の思いがある。
まず、『森林におおわれて』の連作から、いちばん大きい
キャンバスで見てみよう。
絵はレンズからのぞいて、切り取ったように構成されて
いる。横幅いっぱいに樹木が生えていて、そして奇妙なこ
とに、よくみると樹木の下には、白衣が連なって横たわっ
ているのだ。人間の躯がぽっかり抜けたままで—
私は最初、うかつにもこの白衣を雪の残像と思いこんで、
絵に近づいたものだから、雪ではなく白衣だとわかったと
き、唖然として、ぽかんとなってしまった。きっと、まわ
りから遮断されたように、立ちすくんでいたのだろう。
白衣はかなしみの器のようだ。そして、白衣を置いた地
表は軟らかく、インクの滲みのようにくすんでいる。
また、直さんの絵は遠近がとてもうつくしい。この画面
でも、手前に描かれた三本の裸木と、キャンバスの下方の
線が三角形をつくり、奥行きをだしている。裸木は根元か
ら細い幹となって枝分かれし、その三角の地表に白衣が一
枚ある。この白衣を中心に、画面の奥へ、奥へと私たちは
入っていける。樹木の下には、累々とたくさんの白衣が横
たわり、空の持ち分は僅かである。たぶん絵に入りきれな
いところにも累々と白衣があるはずだ。
直さんは彼女のホ—ムペ—ジで、白衣のことをこんなふ
うに言っている。《1992年、私は「白衣」に出会い、そ
れまで描きたくて描けなかったもの「人間についての物語」
をテ—マに得ました。その頃、私は個人を超えて人間を「
全体的にとらえること」に惹かれていました。(中略)私は、
「白衣たち」が宇宙に繋がっていく空間や、神話の時代と
繋がる時間の中に佇んでほしい》と。
『かれらのなかに土があった』の連作では、白衣はつつま
しく雪に同化しているようだ。もう、滅んでしまったもの
への畏怖とあこがれにくるまれて、眠りについているのだ
ろうか。先の連作の白衣より生身の感じがなく、転々と小
さく雪の上に置かれている。
では、この絵のほうも大きなキャンバスで見てみよう。
もちろん森の樹木が描かれているのだが、画面は構成も
色彩もかなり違っている。たとえば空の部分、画面の背景
がほとんど空で占められており、そこに裸木が画面奥まで
びっしり連なっている。上の方に小さくまるい陽がぼんや
り浮かんでいて、(いや、月のほうなのかもしれないが)
非日常的な世界へと私たちを誘う。
空は灰色と紫を溶かしたような、まっすぐな青で刷かれ
ており、樹木はくろぐろと起立している。画面下四分の一
ほどが、雪で水平に覆われた地表である。澄んだ大気と空
の青、簡潔な構図でありながら、繊細な筆づかいが冷たい
冬の明るさを、不思議な空間に変えている。人間のもつ、
ある苦しみ、かなしみを描きこんでいるのだと思う。
生きていくということは、ツェランの言葉を持ち出すま
でもなく、酷でとてつもなく独りだ。早朝の黒いミルクを
夕方に飲みそれを正午と朝に飲む、という彼の書いた「死
のフ—ガ」を思いだす。彼ほど悲劇的でないにしろ、私た
ちの今は無機質で混乱している。
樹木と、空と、地表が描かれた直さんの冬の森は、あく
まで透明でうつくしい。
しかし、枯れ葉や雪の上に横たわる白衣の連なりが、既
成の風景を否定し、抽象へと入っていくとき、それが、不
安定で先の見えないものであっても、私たちをもう一歩、
しずかに、力づよく歩ませてくれるのだろう。
(「ペッパーランド 32号」より転載。)
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