「白山吹」

白山吹が散った。四枚の花びらが風に消えた後、対になった葉と、出来たての青い実、そして冬を越した黒い実が残った。四つ集まった、艶やかな黒は、全てが白茶けた冬に宝石のようだった。花で美しく、実で美しい。この花は余程心掛けがいいのだろう。
佐野洋子著「役に立たない日々」を読んだ。痛快で、爆笑し、やがてシンと考えさせられる。 感性の鋭い人ほど年をとっていくことは大変だ。その人が本来持っていた「美学」に逆行して「老い」は現れる。何とか折り合いをつけなければならない。白山吹のようにハラハラと散るのは難しい。
そう言えば、ルキノ・ヴィスコンティの「家族の肖像」は、「死」を描いて秀逸だった。ある日、乱暴に侵入してくる迷惑な存在、仕方なく受容し、愛し、やがて共に生きるものとしての「死」。
ああ、佐野洋子さん、私はイングリッシュ・グリーンのジャガーを買うことはできないよ。「役に立たない日々」ならぬ「役に立たないもの」、大量の作品を、どのように収めて死のうか、と日々考える。私は白山吹のように、やさしく咲けなかった。せめて黒い実を残せたら、と思うが、どうだろうか、、、
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今、展覧会中です。遠い方には遠慮してご案内を差し上げていません。でも大きな絵を展示する機会は限られているので、よかったら足を運んで下さい。

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