京都の貴船神社に行くには叡山電鉄終点の鞍馬駅から由岐神社、鞍馬寺と、森の中の坂道を登っていく。いわゆる「つづら折」から「木の根道」と呼ばれるところだ。深い杉木立の下は夏でもひんやりとして、蝉の声も都会で聞くのとは異なる。樹木の高さがあるので、蝉が遠いというせいもあるが、森が蝉の声を吸い込むというか、あらゆる方向の音が互いに打ち消し合い、やわらかくなって、「蝉しぐれ」という名に相応しい音になる。有名な芭蕉の句の「岩に染み入る 蝉の声」が「閑さ」と結びつく謂れを実感したのは、その「木の根道」だった。
今年の夏は蝉の声が特に耳についた。隣の家が長く空き家で、枇杷と蘇鉄が6mを越えている。そこに大量の蝉がいる。8月半ば、アブラ蝉が「ジー」と鳴き始め、「ジリジリジリ—」とひとしきり、やがて大合唱となった。その数が尋常ではない。毎日の絶え間ない音は忍耐が要る。
「熱き茶を 息つぎ飲めり 朝の蝉」(秋桜子)
そんな悠長なことは言っていられない。我が家の庭はそこら中、蝉の抜け殻だらけの上に、最期に方向感覚が衰えてしまった蝉がガラス戸に激突して果てる。羽音をたてて、かなりのスピードで飛んでくるので、怖い。
昨年の夏は日本各地で35度、38度と、記録的な暑さだったが、今年は長雨に低温が重なり、本格的な暑さは20日過ぎではなかったか‥‥月末は台風が来てグッと涼しくなったから、暑いと言えるのは1週間位のはずなのに、私は暑さを堪能したように思っていて、それはたぶん蝉のせいだ。アブラ蝉は6年も地下にいて、成虫になって僅か2週間〜1ヶ月の命だそうだ。声に含まれた「必死さ」が暑さを倍増させていたのだろう。
8月もあと少しの頃、アブラ蝉にミンミン蝉が加わり、同じ頃ツクツクボウシも鳴き出した。そして30日の台風と共に、あれだけ居た蝉が居なくなった。あっけない夏の終わりだった。終わってみると、蝉の存在は小さくて大きい。
「片歌紀行」(工藤正廣・未知谷)から建部綾足(タケベ アヤタリ)の21才の句。
「木は蝉に もたれか丶りて 夕日かな」
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