「自転車」

子供の頃、歩いて通える普通の小学校ではなく、電車通学をしなければならない、山の上の小学校に入学したのは、恐らく母の教育方針だ。近所に同じ学校の子が居なかったせいで、私は、よく自転車を乗り回し、あちこち、ほっつき歩いた。家から少し離れた、川沿いの豚小屋は、ひどい臭いがして、大きな豚も怖かったのに、独特の魅力があって、こっそり通っていた。そこで数匹の野犬に追いかけられた。あれほど必死に自転車を漕いだことはなく、チェーンが外れなくて本当によかった、と今も思う。
当時は戦後、日本が復興していく時期で、高架線が建設され、「産業道路」と呼ばれていた。トラックの通る大きな道路の向こう側は、子供には未知の場所だった。帰れるかどうか不安なまま、ある日、それを越え、以後、何度も出かけて距離を伸ばしていった。そして突然、カラーの花が群生する沼地に出た。この世のものとは思えない「白い風景」を、私は息を呑んで見つめていた。
見知らぬ世界の中へ迷い込んで、僅かな手がかりを頼りに、また見慣れた世界にもどってくる。その時のほっとした気持ち、少しがっかりした気持ちは、子供にとって、「探検」と呼ぶに相応しいものだった。私は孤独で、地平線の向こうに何かを求めていたんだと思う。
美術大学に行かなかったので、美術教育というものも、ほとんど受けていないのだが、自転車の乗り方に限って考えてみても、「乗り方」を教えられることが重要かどうかは人による。決められたルートを速く、見事に走ることが大事な競技もあれば、間違ったり迷ったりしながらも、新しいルートを発見する喜びもある。後ろ向きに乗ったり、車輪の大きさを変えたり、まったく新しい自転車の乗り方を考え出す人だっている。決められたルートの中で自分のオリジナリティーを出すのは大変なことだろうし、新しいルートの魅力を普遍的なものに繋げていくのも、新しい乗り方を発明するのも、やはり大変なことだ。結局、どの方法が自分に向いているか、ということだけで、困難は変わらない。
先週出かけた自転車の旅で、私は、最近珍しくなったカンナに出会った。10年ぶりだった。2m ほどの、赤と黄色のカンナが、秋の日差しを浴びて、すっくりと立っていた。

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