「完成、の後」

130号の絵が2枚できた。 とは言っても、今は終わったばかりで、その気になっているだけで、完成直後の「自分」はどうも信じられない。私はむしろ「時間」を信じている。少なくとも1ヶ月、本当は何年か経って、やはり「できてる、、、」ということになると、それは確実にできている。その一瞬の幸福はちょっとたとえようもない。逆に「これはヤバイ、、、」となれば、没にするか、やり直すしかない。ダメなものはダメだ。
絵描きのMさんとはプライベードな付き合いはしていないが、お互い展覧会だけは欠かさないで続いてきた間柄だ。抽象の、いい仕事をする人で、尊敬している。彼女が「若い時の絵をなかなか越えられないのよねぇ、、、久しぶりで見ると『好みだわぁ─』と思う。」と言い、とても愉快だった。
若い時の絵は、「技術」は足りないのに「思い」は強く、間違いなく自分の本質に訴えてくる。その時期に自分の心の中をあちこちうろついて、どこまで掘っても尽きぬ鉱脈を見つけておかないと後が大変だ。若い時、いい絵を描いていた人が、表面こそだんだん手慣れてくるものの、中味はリスクのない、「心の震え」の感じられない状態になってしまう例もある。年と共に誰も何も言わなくなり、自分が自分に対して一番厳しい批評家にならない限り、「一応はできた。」という段階に留まる。
だから絵が仕上がった後しばらくは、私はどうも落ち着かないし、まるで自分のしっぽに噛み付いてうなっている、機嫌の悪いノラ公のような状態だ。

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