気がつくと、家のあちこちに石がある。海や川で拾ってきた丸い小石を、窓枠に並べたり、ガラスの器に入れたり。横に草花でも置けば、石はいつの間にか、動かせないものになっている。
鉱物学ではちゃんと名前があるのだろうが、浅学の私には分からない。キメの細かいツルツルの黒い石、目の荒いザラザラした白い石、赤茶が滲んだ生成り色の石、くもの巣状に筋の入った鉄色の石。どこで生まれ、どのような遍歴を経て、ここに至ったのか、、、丸いのも、平たいのも、握っていると、手のひらから石の経てきた時間が伝わってくる。彫刻をやる人から「石は生きている。」と聞けば、そうかもしれないと思う。
庭に大きな石のある家で育った。昔は造園というと、まず石を入れたので、広い庭でもなかったのに、いくつか入っていて、その上でよく遊んだ。日差しを吸い込んだ石に座り込んで、おしりがほんわり暖かくなる感触などは、ずっと覚えているものだ。
庭石は、新しい間は、落ち着きとはほど遠い。日に照らされ、雨に濡れ、雪に埋もれて、そのうち、ずっとそこにあったかのように、周囲に溶け込んでくる。それからが価値だ。造園に石が必要だったのは、造形的な理由、草木に対する石肌というマチエールの理由もあっただろうが、石の持つ長い時間のせいでもあっただろう。岩盤が岩になり、そして石となったものが、しだいにくだけて小石、砂利、最後に砂になる。石の持つ、気の遠くなるような時間を傍らに置き、人の持つ、限られた時間を思うと、その静かな対比が、空を、植物を、水を、より美しく見せていたのだろう。
庭石─私の隠遁生活に欲しいものの一つ。
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