「絵描き」

絵を描くだけでは食べていくことができないので、自分のことを「絵描き」と呼ぶ度に、チラっと躊躇が伴う。そのくせ食べるために描くことはできない。他に仕事をしながら、描き続けてきたわけで、現在の日本では、私と同じような方は沢山いらっしゃるだろう。最近は自由になる時間が増え、そのチラリとした躊躇が薄れてはきたが、まだ少しある。
何故描いているのか、ということに対する立派な理由がないことにもその原因がある。個々の画面に対しては、必然性はあるから、全力は尽くしているが、自分の心の奥の奥を考えると、何故描いているのかよく分からない。中井正一が「美学入門」で「ぬけがけ精神」ということを言っていたが、私の場合、絵に向かっている時だけ、それから自分が解放され、ごまかしの効かない道を辿っている、という感覚がある。どの道を選んだにせよ、あるところに達すれば、きっと人に伝わる、と信じる気持があって、だから苦しい。結局、元々いい加減な人間が絵を描いている時だけ少しまともになれる、ということか、、、と思うと、何だか情けないが、それが絵を続けている本当の理由かもしれない。
描き続けて20年位経った頃、大きな作品と画集や本で、家の中はどんどん狭くなっていた。そこがたぶん分かれ道だった。そこで、遠からず「住めなくなる」という点に危機感を持つべきだったのに、「描けなくなる」という点に危機感を持った。
何とかしなければ、、、と、それから土地を探し、設計をして下さる方を探し、建てて下さる会社を探し、お金を貸して下さるところも探した。どれをとってもスムースに行ったことはなく、、、でもギリギリ最後に出会いがあった。そして9月下旬に引越したのだが、なんだかんだで、分かれ道から10年経っていた。
家の1階が全てアトリエや収納庫、資料の部屋になって初めて、今、自分は「絵描き」かもしれない、と思う。少なくとも、ここは「絵描きの家」だろう。たぶん「絵描き」というのは、そう呼ぶ以外、他に呼びようがなく生きてしまう人のことだ。こうなった上は、お世話になった方々の恩に報いるためにも、ただの「絵描き」ではなく、「いい絵描き」になりたいものだ。

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