「クラクフの午後」

ポーランドのクラクフに行った時は、ある版画家ご夫妻のお宅に逗留させていただく。すばらしい方たちで、出会えたこと、仲立ちをして下さった方に深く感謝している。
ある午後、ご夫妻は工房に出かけられることになっていて、「Naoはどうするの?」と聞かれた。私は前日オシフェンチェムとビルケナウの収容所を訪ねており、疲れ果てていて、「できれば家に残りたい。」と言った。そこで、ポーランド語しか話さないおばあさまと、まったくポーランド語が話せない私の、二人だけの午後が始まった。
おばあさまは80才を越えて、少し認知症が始まっていると聞かされていたが、目鼻立ちの美しい、威厳のある方だった。「3時になったら、母のためにお茶を入れてくれる?」と言われていたので、3時近く、私は台所にあった林檎と、前夜のワインの残りと、少しのバターで、ジャムを作った。林檎は、ヨーロッパで見かける小さな種類で、少し萎びていたのがよかったのか、透明でホロホロのジャムが出来た。ビスケットとジャムと紅茶で、おばあさまと一緒に3時のお茶を飲んだ。
外に広がる雪原を見ると、前日の光景が甦る。男3ヶ月、女1ヶ月、とカロリー計算して与えられる食事、、、名前の横に入所日と退所日だけが書かれたラベルの列、、、予定どおり、皆きっちりと消えていく。驚くべき合理性。しかし、時と場所と対象が違うだけで、その同じ合理性が自分の中にもあるではないか、、 
どこかボーッとしてお茶を飲んでいる私に、おばあさまが時折、「タック、タック、、、」と頷かれる。ポーランド語で、Yes、Yes、、、と言って下さる。
私はふと、おばあさまに手のマッサージをして差し上げようと思った。手をとって、日本の美容院でしてもらった記憶をたよりに、指、掌、手首、肘、、、とマッサージをしていった。すると、おばあさまは「オゥ、、、アゥ、、、」と、小さな喜悦の声を上げて、気持がいいことを知らせて下さった。
「アウシュビッツの後、詩を書くことは野蛮だ。」とアドルノは言った。絵を描くこともそうだろう。帰国後、半年は描けなかった。そして、その野蛮な行為を再開するにあたって、再出発の場所に、私の場合、ポーランド人のおばあさまと過ごした、静かな午後がある。

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