「こうもり傘の実験装置」

  (一週間ほど留守にします。少し早いけれど、7月のブログとして、、)
科学者たちは「真理」という世界共通の基盤があって、科学雑誌に掲載されるべきかどうか、という判断は、様々な国の複数の研究者の査読によって決まる。投稿が主に英語で書かれる理由はそこにある。国も違い、会ったこともない人間から論文だけで判断される、ということが、何かとてもすっきりして、うらやましい気がして、「理系はいいよ、、、」と言ったことがあった。
すると、科学とは言っても、専門的になればなるほど、やっていることの意義が本人にしか理解できなくて、長い間、つまり判断基準が世界共通のものになるまで、それぞれの研究者は孤独な戦いを強いられる、と聞いた。世界的実験結果を発表した研究者をはるばる訪ねてみたら、その実験装置が、こうもり傘の骨組みを改造したお手製のもので、えっ、これで?と驚くようなことがあるそうだ。
自分がきっと何かある、と信じているのだから、きっと何かある、、、この単純な信念を貫いた人がいたからこそ、人類の歴史は変わってきた。そして今も、どこかで、パイオニアたちが社会の冷ややかな反応や予算不足を克服しつつ、がんばっている、、、そう考えると励まされる。
美術は個人の感性や技術、そして思想に大きく支えられるものではあるけれど、根本的には科学の分野に重なるところがあると思う。こうもり傘を改造して実験装置を作るように、描いていけたら、と思う。

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