「『V字鉄塔のある惑星A』を歩いて」

詩人の岡島弘子さんが詩誌「つむぐ」に「『V字鉄塔のある惑星A』を歩いて」と題するエッセイを書いて下さいました。ご紹介させていただきます。
「V字鉄塔のある惑星A」を歩いて
                            岡島弘子
 その日は快晴だった。北風が強く吹いて私の縮れ毛は迷路のようにもつれた。そう、方向音痴の私にとって岡本太郎美術館への道は迷路だった。私バスの終点で降りて、まず方向を決めることにする。地図を見ると生田緑地の中だ。通りがかった人に道を尋ね、曲がりくねった道をひたすら下りる。目立った道標がないので、再度家族連れに尋ねる。みな親切に教えてくれる。若いカップルが多いのは新興住宅地のせいなのだ、と思う。この地で新生活を始めたばかりなのだろう。希望にあふれた笑顔がすがすがしい。「閉まっているかもしれませんよ」と声をかけてくれる人も。そう、今日はコロナウイルス感染防止のための緊急事態宣言が発令されて二日目、4月10日なのだ。今日まで、ということなのであわててやってきたのだった。三つ目の坂を下りたところで木立の間に巨大なモニュメントを発見。なるほど。道標がなくとも、一目瞭然、とばかり立派な玄関に突進すると、そこは喫茶店だった。地味なトンネルのような入口をようやく見つける。常設展岡本太郎「聖家族」のまろやかな作品群の中を突っ切るとその奥に、ひときわ明るいスペースが。岡本太郎現代芸術賞展。その空間のほぼ中央に「V字塔のある惑星A」があった。井上直さんの、2006年の作品だ。壁の一面を全部使っての大作。荒涼とした画面には緑が欠片もない。白と灰色、そして黒と青。寒色系で占められている。鉄柵とV字塔と電線だけが地平線の奥まで連なっている。空も不気味な雲で覆われていて、カラスが二羽飛んでいる。そこでひときわ目を引くのが白衣。そうあの透明人間のような白衣だけが黒いボートに乗っている。ボートは三隻ほど。手前と中程と、そして奥。そのほかの白衣は、地面に横たわり、あるいはちぎれて電線に引っかかっている。裂け、横たわる白衣は残雪のようだ。V字塔はこの画面の中で、ひときわ不安定だ。そして気になるのが画面右奥の灰色の建物と丸みをおびた、ふたつの塔のようなもの。じっと眺めていると不安と危機感とに襲われる。これは、雷雲に覆われた荒野ではないか。今にも雷鳴がとどろき、稲光して驟雨に閉ざされる。その直前の原野。
この絵に初めて会ったのは2006年の井上直さん、の個展で、であった。その時ご主人は雷の研究をしている、と聞かされた。
2020年の今、こうしてふたたびこの絵に向き合うと、次々と、この絵の言葉が聞こえてくる。そう、謎の白衣。あれは研究者であるご主人だったのだ。そして荒野はご主人の心に広がる研究現場だった。右奥の建物。あれは原発。2011年の東日本大震災の原発事故を予知しての危機感だった。そして2020年の新型コロナウイルスの恐怖。千切れたり横たわったり、そして電線や鉄柵に引っかかっている白衣は医療従事者であり感染した犠牲者なのだ。そして、もうひとつ大切な声が聞こえてくる。白衣。それは井上さんの愛とかなしみ。それに他ならない。井上さんのご主人は亡くなられた、と聞いている。寒色系だけの画面の中、白衣だけがふくらみをおび柔らかい。愛とエロスだ。亡くなったご主人を絵の中に描くことによって、いつまでもいっしょに生きていくことを可能にしたのだ。そしてかなしみ。私も故あって、一人暮らしの達人となった今、そのことがひしひしと伝わってくる。   
2006年に描かれた絵に今やっと時代が追いついた、と言うべきか。放射能汚染。コロナ禍の危機と恐怖。そして死。それらを「V字塔のある惑星A」は先取りしていたのだ。
生田緑地を彷徨ってやっとここまでやって来た。これは私自身の心の中の旅でもあった。
●おかじまひろこ
1943年東京生まれ。詩集『つゆ玉になる前のことについて』で地球賞受賞。詩集『野川』で小野十三郎賞特別奨励賞受賞。「ひょうたん」、「歴程」同人。最新詩集『洋裁師の恋』。山梨日日新聞月間詩壇の選者。2020年12月に「世田谷歌の広場」で私の詩が演奏される。

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