「絵の大きさ」

1990年代の現代日本美術展には大きな絵が多かった。不況の続く最近は、売買しやすい小さな絵が多く、現代美術にとっては残念なことだ。
小さな絵にもすばらしいものは沢山あるし、小さな世界に大きな宇宙を見ることも確かにある。フランツ・マルクの「青い小馬の母馬II」(1913) は19.0cm × 14cm だし、エミール・ノルデの「橙色の雲」(1938-45)は 18.2cm × 16.4/7cm で、二点とも大好きな作品だ。
しかし、大きくなければ表せないこともある。人は小さな絵を見る時、そこに創造された世界に外側から近寄っていく。大きな絵は違う。まず、いきなり放り込まれ、そこから逃れたいと思ったり、あるいは、ずっと包み込まれていたいと思ったり、、、それは一つの体験だ。
1985年プラド美術館で見たピカソの「ゲルニカ」(1937)は、351cm × 781cm 。7m 近く離れないと全体が分からない。近寄っていくにつれ、全体の構図が消え、作品が「部分」になっていく。約116cm × 78cm (約50号)が、縦に3枚、横に10枚 、、、その一枚づつが作品として出来上がっており、マチエールが実に美しかった。近寄ったり、離れたり、、、つまり30枚を見たり、1枚にもどったりしながら、私は展示室に4時間も居てしまった。
ピカソは言う。
 いったい君は芸術家を何だと思っているのか。馬鹿者で、絵描きは眼だけしかなく、音楽家は耳しかなく、詩人ならば、心臓の各室ごとに竪琴をもっているだけ、ボクサーならば筋肉があるだけとでも思っているのか?
 大間違いだ。芸術家はそれだけではなく、世界の恐ろしい、激しい、あるいは楽しい事件にたえず反応し、すべてその像に従って自分を創り出す存在なのだ。
       (Picasso on Art, A Selection of Views)

1937 年 1月、ピカソは銅版画シリーズ「フランコの夢と嘘」(1937)を制作していた。6月にパリ万国博のスペイン館で発表するための作品を依頼されていて、ゲルニカ爆撃の知らせの3日後(5月1日)に、この大作の最初のデッサンに入った。今日はそれから74年後の5月1日に当たる。
ピカソの言うように、世界の事件に反応して自分の世界を創る、というのならば、この74年間に私たちが何を得て、何を失ったのかを考え、ピカソの時代にはなかった絵が生まれなければならない。現代美術の存在理由も、大きな画面が必要な理由も、そこにあるのではないか。

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