拝啓 横山大観さま、

 2月末日に、東京国立近代美術館で、あなたの「生々流転」を再び拝見しました。  
 筆と墨と水だけで表現された水墨画の世界は、遠い記憶のかなたから何か呼び覚まされるような経験でした。 けぶるような、かすかな大気と、くっきりと際立つ樹木たちは、あらゆるトーンと線の魅力にあふれ、大胆な構図と繊細な表現の対比が、見事でした。  そして何よりも、「生々流転」という自然の営みの中に含まれた「円環の思想」は、ちょうど春を迎えたこの時期に相応しく、祖先が感じたであろう「再生の力」が、私の中にも蘇るようでした。
 「大観さま」と呼べば、あなたは歴史上の人物、ほど遠い存在。 でも「横山さま」と呼べば、あなたも同じ人間。 つい84年前、私の両親が生まれた頃に、独りで世界を受けとめた、その志しの高さに打たれます。 40mを描き終えて落款を押された時、あなたのお気持ちはどのようなものであったか、、、これを描くために自分は生まれてきた、とお思いになったのでしょうか。
 「生々流転」の翌年にお描きになった「東山」にも私は魅せられます。 あれほどのお仕事の翌年に、まだやり残した世界として、「生々流転」の手法が凝縮されているように思います。 「見えないものを見えるように」ではなく、「見えないものは見えないままに残す」ことで生まれる「空気」と「品格」─それは、かつて私達の祖先が持っていた大切なものではなかったかと。
 今は風景にも住居にも空いた空間が少なく、「空気」も「品格」も生まれにくい状況です。 あなたのご存じないラップという音楽は、埋め尽くされた世界─まさしく私達が日常感じている圧迫感に近いものです。 このような時代に、「人と生まれたからには、あなたのように世界を受けとめてみたい。」と願う私は、ただの愚か者でしょうか、力もないのに、、、。
 横山大観さま、どうか、いつの日か、私のアトリエにおいで下さい。 そして力をお貸し下さい。 あなたの場所はいつも空けておきます。 「酔心」も用意しておきますから。
                 
                   2007年4月1日
                                井上 直

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「手拭い」

 日本から外国へのお土産として何を選んだらよいのか、毎回迷う。 軽くて、かさばらないもの、そう高くないもの、それでいて日本ならではのもの、、、これが難しい。 決まらないまま出発が迫ってきて、今回は「手拭い」を選んだ。 南天や風知草の柄がモダンでもあり、思わず買ってしまった。
 
 受けとった外国の友人は「美しい布ねえ、、、これは何に使うの?」と聞いた。 当然の質問なのに、返事に困った。 手拭いは、今や私達の生活からすっかり消えてしまったものだ。 「スカーフにしてもらっても、テーブルセンターにしてもらってもいいけれど、本来はタオルとしてお風呂で使うの。」なんて、さすがに言いにくい、、、安易に選ぶから、こういうハメになる。 
 「手拭い」が「タオル」になった、ここ数十年の間に、日本の「暮らし」は「生活」と呼ばれるようになって、人と「もの」との関係がまるで違ってきた。 タオルならば洗面器だろうが、手拭いであれば桶が要る。 そして木の香りのする風呂が欲しくなる。 一つのものが次々と芋づる式に別のものを要求するのだ。 季節の野菜を面とりし、出汁をひいて煮物にする。 器が要る。 陶器も塗りも、日本のものはすばらしい。 糸を紡ぎ、染めて、織られた反物を、さらに手縫いして、ようやく和服ができる。 手のかかったものだから、金具細工のついた桐の箪笥に丁寧に仕舞う。 箪笥にはやはり畳みの部屋が似合う。
 こう考えてくると、昔は「暮らし」の中にあった手作業の痕跡が、すっかり消えてしまったわけだ。今は「もの」は工業製品の一つに過ぎず、常に取り替えの効く品物になったので、私達は、身の回りにある「もの」に思いをかけることができなくなった。 
 私は別に「昔はよかった。」等と言うつもりはない。 そうした手作業の多くは、女性達の労働や職人たちの技によって、支えられていたのだろう。 ただ人が、「もの」との私的な関係の飢餓状態にある、ということは事実で、それは私達の書く詩、描く絵に、必ず影響を与えているはずだ。 
 詩や絵だけが人と私的な関係を結ぶことができる、と思うべきなのか、、、それとも、私的な関係等というものは、もはや結べるはずもない、と、人はあきらめてしまう方向に行くのか、、、
私には何だかその両方が同時に起こっているような気がしてならない。
 それにしても、日本から外国へのお土産、、、ホントに何がいいんだろう? 

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ポーランド

 1月下旬、ポーランドに行ってきた。 今回は、5年ぶり2度目の旅で、「森」を見たいと思って出かけた。 着いた日に寒波が来て、飛行機は雪のため2時間半遅れて着いた。  最も寒い時期に何を好きこのんで、というところだが、雪国生まれの私は、かすかな興奮と共に、冬のポーランドを満喫した。 
 
 ワルシャワ郊外には、カバテイーという落葉樹の森があり、人々は運動のため気軽に出かける。 赤ちゃんは乳母車に、幼児は橇に乗せられて、お年寄りは杖をついて、延々と続く樹木の中を歩く。 雪に縁どられた樹木たちの間から、陽射しが差すと、雪の上に長い影ができる。
 対照的に南部山岳地帯、ザコパネには、針葉樹の森がある。 林立する巨大な樹木たちに囲まれて、私は瓶の底から眺めるように空を見上げた。 しっかりした靴と、できたら、ストックを持っていく方がいい。 身体の奥の汗ばむような熱が、冷たい外気によって一瞬に冷めていく。
 ワルシャワ─クラクフ間は IC という急行列車が1時間に1本は出ているので、それに乗っていく。黒々と点在する農家や樹木の他は、ずっと雪の平原が続く。 まさしくポーランド( ポーレ:平野、畑)だ。 その同じ世界がクラクフ─ザコパネ間の長距離バスに乗ると、山岳地帯特有の立体的な風景に変わり、これもなかなかいい。
 このような風景になぜこんなに惹かれるのか、と思うのだが、、、、雪と樹木に限定された世界の下に、様々な人々の暮らしや時間が封印されている、ということに関係するのだろうと思う。 私は、色と形が限りなく自由に解放されているものより、「不自由さを背負ったギリギリの表現」の方に惹かれる。 絵画や詩にとって、モラルを壊すことが宿命だった時代を経て、極限まで解放し尽くされた表現の中に、私達は何を見ているのだろう?
 

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デリダの「絵画における4つの真理」

 30代初めに絵を描き始めてすぐ、私は、自分が他の人とまるで違った描き方をしている、と気づいた。 私にとって心の中の何かを表現するための二義的な存在である、色や形、そしてマチエール、、、それら絵画の表面的な問題こそが、どうやら他の人にとっては重大であるらしく、人によっては目的そのものであるらしい、と分かったのだ。
 心の中の何か、、、といっても、別に特定のものではないし、むろん真理やイデオロギー等ではない。 人の心の奥にある根元的なものと、表面との間にある空気、、、言葉にすれば「しみじみ」だったり、「ひりひり」だったり、「しらじら」だったり、「ああーっ」だったりするわけで、どこか詩に似ていると思う。
 でもある時、絵の具の乾く間に読んでいたジャック・デリダ「絵画における真理」で、私は4つの真理に出会い、長い間の疑問から解放された。 とても難解で手に余る部分もある本なのだが、かかえている問題がある時だったから、スーッと入った。 ちゃんと引用すると長くなるので、訳者・阿部宏慈氏の簡潔なあとがきから引用する。 (以下「」内が引用。)
 1.「‥‥すなわち絵画という手段によって提示されてはいるが、絵画のもつ再現力によって、それをおこなっている絵画という手段そのものさえも透明で非媒介的なものと化してしまうように、それ自体として露呈される真理。」 私はフェルメールの絵を思い出した。 デルフトの風景が画家の目から私たちの目へと、まるで時間と空間が繋がっているかのように感じられる。
 
 2.「第二にあらかじめ存在する真理というモデルを忠実に描くという意味での、描かれた真理。」
古くは宗教画、そしてドラクロアやゴヤ、現代ではアバカノヴィチやキーファー等がきっとこの系列だろう、と思った。 そして私自身も、資質としては、この流れの中で描いていくことしかできない、と自覚した。
 
 3.「第三には絵画という芸術に固有の仕方で提示されあるいは再提示(表象)されるところの真理。」 これは前世紀から今世紀にかけて出てきた大部分の絵画が含まれる。 セザンヌ、カンデインスキー、マレーヴィチ、クレー、ピカソ、ニコルソン、ロスコ、、、、とても書ききれない。 
 
 4.「第四に絵画というものの真理、絵画についての真理である。」 デユシャンがそうだし、ミニマル・アートや、写真との境界線上にある表現等もそうだろうと思う。
 
これら4つの分類の後に、阿部氏は続けて、「もちろんこれら四つの翻訳可能性は決してそれぞれに別個の、等価的な可能性でもないし、いずれかがいずれかを包含するというものでもない。 それぞれの可能性はたがいに寄生しあい、また時にはそれぞれに幾つかの可能性へと分岐されうる。 実際にはこのように翻訳を試みても、そこにはつねに翻訳不可能な『残余』が生じてくるのであり、翻訳可能性を試みたのちにいまだに存在するその『残余』こそが「私」の関心を引くのだ、という可能性さえ、デリダは示唆している。」と書いている。 私自身も、自分は、ジャンルとしては2の中に入るのではないかと思うが、もちろん1や3の要素も必要だと思う。 作家は生身の人間だから、常に理論からはみ出し、そのはみ出すところが大事なんだと思う。
 しかし、このような分類に出会い、自分を客観的に位置づけたことはありがたかった。3のジャンルがあまりにも栄えたために、絵画という芸術に固有の仕方でなければダメだ、と思っていらっしゃる方は多く、そのような方にとっては、私の絵は「表現になってない!」と切り捨てられる場面もあった。 そう言われても、自分の内から湧き出てくる必然的な欲求に逆らうことはできないから、私にはどうしようもなかった。 でも、これ以後、私は、心の奥で「デリダの『絵画における四つの真理』‥‥」と呟いて、落ち着いていられるようになった。
 自分の資質に合ったやり方で、内なる必然性に逆らわずに描き続ければ、「その人なりの世界」ということだけであれば、何とかできていくのだろう。 それが、それぞれの時代が求めているものとの間で、どういう価値を持っていくのかは、作家の死後、何年も経たなければ分からないのではないだろうか。 ゴッホもモジリアニも、今日の評価をよもや予想はしなかっただろう。
 お正月には、このようなことをぼんやり考えて、年々速くなっていく時間のスピードを、少しでも遅らせることができれば、と願う。 今年もどうぞよろしくお願いします。

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「遮断された風景をぬけて」

水野るり子さん主宰の「ペッパーランド 32号」に、荒川みや子さんが私の絵について書いて下さった。 荒川さんは、「森の領分」、「冬物語1983」、「つる性の植物あるいは空へ」の詩集を出された詩人だ。 
絵を描く人は皆よく似た状況だと思うが、毎日古着に絵の具まみれのエプロンをつけ、何時間もキャンバスの前にいる。 うまくいく時ばかりではない。 うまくいかない日が続くと、自分が何をやっているのか分からなくなる。 でも、思いがけずこのようなことがおこると、もしかしたら、自分は幸福な人間の中に入るのかもしれない、と勇気づけられる。  荒川さん、ありがとうございました。
    ______________________________
    遮断された風景をぬけて         
         —2004・井上直展より—
                             
 人はどこからきてどこへいくのか。この永遠の問いかけ
が私たちの体内にたえずひそんでいるらしい。たとえばそ
れが、信号を渡る一瞬であったり、愛するものと一緒に夕
日をながめている時であったり、音楽を聴いている瞬間で
あったりする。
 が、それぞれの場はともかく、潮の満ち干のリズムに似
たこの問いは、果てしなく繰り返される生と死へのオマ—
ジュでもあるのか。
 井上直さんの絵の前に立つと、私はしきりにこの思いに
捉われる。静止した時が、過去から紡ぎだされる人間の日
々をさらしてしまうような、そんな内なる中へと。
 2004の春、はじめて直さんの絵を見たのは、京橋に
あるア—トスペ—ス・ASKでの個展だった。友人の、る
り子さんに誘われて、連れだってでかけたのだ。きっと、
あなた、気にいるわよ。るり子さんは何気なくおっしゃる。
彼女は詩を書くひとで、その詩は滅んだ生き物や、答えの
ない×印がでてきたり、獣や植物がひっそりと、薄暗い星
雲の中でただならぬ気配につつまれているという、とても、
なにげなくとはいかない難解ものなのだが、その、難解さ
んと二人ででかけたのだ。
 階段をのぼって、ドア—を開けた時から、私はぽかんと
なって、直さんの作品のひとつひとつを見ていたのだと思
う。
 内側がまっ白で、大きな箱のような画廊の空間に、すべ
て、森の樹木、を描いた絵が掛けてある。大きなものは、
194×350センチ、中くらいのものは145×194
センチ、小さいのは51×92センチと三種類の大きさだ。
この大、中、小のキャンバスの組み合わせがとてもいい。 
 全部の絵が森の樹木だから、大きいのも、中くらいのも、
小さいのも、個として起立していて清冽にひびく。
 材質はアクリル絵具である。このアクリルの透明度と速
乾性が、彼女の資質とうまく溶けあっていると思う。職人
のような手触りで描かれた、線と色彩の対比は抑制がきい
ていて、無音であり、しつこく絵具をかさねて主張しなく
ても、そこに立てば森の樹木は存在する。そういうことな
のかと気がつく。
 おもしろいのは、森の樹木を描いているのだが、描く対
象が二つの風景に、きっちり分かれていて異なることだ。
『森林におおわれて』と『かれらのなかに土があった』、 
それぞれにこの題名がついている。象徴的な意味あいをも
つこのタイトルを、パウル・ツェランからもってきたとこ
ろに彼女の思いがある。
 まず、『森林におおわれて』の連作から、いちばん大きい
キャンバスで見てみよう。
 絵はレンズからのぞいて、切り取ったように構成されて
いる。横幅いっぱいに樹木が生えていて、そして奇妙なこ
とに、よくみると樹木の下には、白衣が連なって横たわっ
ているのだ。人間の躯がぽっかり抜けたままで—
 私は最初、うかつにもこの白衣を雪の残像と思いこんで、
絵に近づいたものだから、雪ではなく白衣だとわかったと
き、唖然として、ぽかんとなってしまった。きっと、まわ
りから遮断されたように、立ちすくんでいたのだろう。
 白衣はかなしみの器のようだ。そして、白衣を置いた地
表は軟らかく、インクの滲みのようにくすんでいる。
 また、直さんの絵は遠近がとてもうつくしい。この画面
でも、手前に描かれた三本の裸木と、キャンバスの下方の
線が三角形をつくり、奥行きをだしている。裸木は根元か
ら細い幹となって枝分かれし、その三角の地表に白衣が一
枚ある。この白衣を中心に、画面の奥へ、奥へと私たちは
入っていける。樹木の下には、累々とたくさんの白衣が横
たわり、空の持ち分は僅かである。たぶん絵に入りきれな
いところにも累々と白衣があるはずだ。
 直さんは彼女のホ—ムペ—ジで、白衣のことをこんなふ
うに言っている。《1992年、私は「白衣」に出会い、そ
れまで描きたくて描けなかったもの「人間についての物語」
をテ—マに得ました。その頃、私は個人を超えて人間を「
全体的にとらえること」に惹かれていました。(中略)私は、
「白衣たち」が宇宙に繋がっていく空間や、神話の時代と
繋がる時間の中に佇んでほしい》と。
『かれらのなかに土があった』の連作では、白衣はつつま
しく雪に同化しているようだ。もう、滅んでしまったもの
への畏怖とあこがれにくるまれて、眠りについているのだ
ろうか。先の連作の白衣より生身の感じがなく、転々と小
さく雪の上に置かれている。
 では、この絵のほうも大きなキャンバスで見てみよう。
 もちろん森の樹木が描かれているのだが、画面は構成も
色彩もかなり違っている。たとえば空の部分、画面の背景
がほとんど空で占められており、そこに裸木が画面奥まで
びっしり連なっている。上の方に小さくまるい陽がぼんや
り浮かんでいて、(いや、月のほうなのかもしれないが)
非日常的な世界へと私たちを誘う。
 空は灰色と紫を溶かしたような、まっすぐな青で刷かれ
ており、樹木はくろぐろと起立している。画面下四分の一
ほどが、雪で水平に覆われた地表である。澄んだ大気と空
の青、簡潔な構図でありながら、繊細な筆づかいが冷たい
冬の明るさを、不思議な空間に変えている。人間のもつ、
ある苦しみ、かなしみを描きこんでいるのだと思う。
 生きていくということは、ツェランの言葉を持ち出すま
でもなく、酷でとてつもなく独りだ。早朝の黒いミルクを
夕方に飲みそれを正午と朝に飲む、という彼の書いた「死
のフ—ガ」を思いだす。彼ほど悲劇的でないにしろ、私た
ちの今は無機質で混乱している。
 樹木と、空と、地表が描かれた直さんの冬の森は、あく
まで透明でうつくしい。
 しかし、枯れ葉や雪の上に横たわる白衣の連なりが、既
成の風景を否定し、抽象へと入っていくとき、それが、不
安定で先の見えないものであっても、私たちをもう一歩、
しずかに、力づよく歩ませてくれるのだろう。
(「ペッパーランド 32号」より転載。)

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「冬まぢかのレクイエム」

この時期になると、今年2月に逝ったゲンナジイ・アイギの「冬まぢかのレクイエム」を思い出す。 
声に出して読んでみたくなる。 私はチュヴァシ語は理解できないから、たなかあきみつ氏の訳に頼る他はないのだが、並み大抵のことではこのような緊張感が生まれるはずもなく、まさしく名訳に違いないと、思うのだ。
ゆっくりと読んでみると、寡黙な、でも重い言葉が、静謐な世界に広がっていく。 詩の表面と詩人の内奥との間に距離があるので、音が響く。
詩集から顔を上げて、窓の外に目をやり、背筋をしゃんと伸ばすと、、、私もまた冬を迎える準備ができるのだ。
「冬まぢかのレクイエム」 B・L・パステルナークを偲んで 1962年
             ゲンナジイ・アイギ (たなかあきみつ訳)
野辺送りの途すがらわたしはしじまの合唱のようにふと立ちすくむだろう
わたしはあのおごそかな空間に終日留めおかれたもの
冬のりんれつなひざしの移ろうところに
煤と紛うばかりに
ところが時間はひとりでに生成し
物乞いにいそしむ雪が舞いつのる
そこここの修道院の門扉のあたり
外からのいまこそ支えとなるのは
道行く人びとのかけがえのなさ
ところが世紀の水準はもはや確認ずみ
栄誉の水準がもとめているのは
顔をしじまへと向けること
懊悩の本ではなく懊悩のアトラスこそ
卓上のひそやかさのうちに収納される
ところが一年は煤のように家々に触れるだろう
本という本がばらばらに引き裂かれてしまったも同然の旧世紀にあって
どのページもひたすらもとめるだろう
切取線とたび重なる折り込みを
わたしの袖ごしに
その袖口には寒気その傍らには窓その向こうには
雪だまり門扉家また家

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炊き込みごはん

昔から「炊き込みごはん」が好きだ。
秋は「栗ごはん」、「鶏と牛蒡の五目ごはん」、あらゆるきのこの「きのこごはん」と、炊き込みごはんの宝庫だ。「きのこごはん」には銀杏を入れよう、、そうしているうちに「牡蠣めし」の季節になる。 「ホタテごはん」や「蟹ごはん」は贅沢だが、ただの大根の葉を刻んだ「菜めし」や「人参ごはん」も充分おいしい。 そして春はもちろん、まず「筍ごはん」だ。 旬の浅利を入れた「浅利ごはん」は格別だし、「ピースごはん」、「フキと油揚げのごはん」、「菜の花ごはん」も私は好き。  夏は夏で、爽やかな「青じそごはん」、「生姜ごはん」、それに、「枝豆ごはん」も塩鮭を混ぜていただく。
こうして並べてみるだけで幸せになり、それぞれの季節がいとおしくなるのだから、日本人にとって「炊き込みごはん」はありがたいものだ。
ごくたまに、目の中にブラックホールのような「虚無」をかかえた人に会うことがあると、つい「炊き込みごはんを食べさせてあげたいなあ、、、」と思ってしまうのだが、さすがに最近は、「それは浅はかな考えだ。」と、思いとどまる。
たぶん「炊き込みごはん」が好きなのは、湯気の中に満ち足りた記憶が混じっているからだろう。 「時」をそのようなものとして受け入れることができるかどうかは、人による。 誰にでも、「既にその空しい結果を予感し、積み重ねることができない状況」というものはあって、その是非は、他人がかかわれない領域だ。 
映画「死刑台のエレベーター」で、恋人からの連絡がないまま、街なかを彷徨い歩くジャンヌ・モローの瞳に、そして身体に染みわたるように流れるマイルス・デイヴィスのトランペットの音色に、深遠なリリシズムを感じるのは、誰にも心の底に同じような経験があるからだろう。
人は、ある晩は「炊き込みごはん」が食べたくなり、ある晩はマイルス・デイヴィスを聞きたくなる。
矛盾した人間の典型である私の場合も、せいぜいバカな法則を思いつく位、、、
人生の法則197:「マイルス・デイヴィスを聞きながら、炊き込みごはんを食べてはならない。」
 

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百日紅

夏の終り、、長くなった陽射しが百日紅の影を網戸に写している。 止まった時間の中で、やわらかな光の斑点がチラチラ揺れる。 おまえがまだ若木だった頃、私達はこの家に越してきた。 小学生の子供達に「百日紅」の名前を教えようと、私は「千日紅」の鉢を買い、どちらが長く咲くかと面白がって見守った。 百日紅は百日を越えて咲き続け、11月半ばに突然散り出すのだ。 バラバラと落ちた黄ばんだ葉が重なり、庭に樹木のにおいが漂う。 そして暮れ、、、焦げ茶色に枯れきった枝を落としてお正月の準備をする。
昨今、東京の冬は、雪の積もることはめったにないものの、厳しい寒さが続く。 百日紅は雪まじりの雨の中、瘤だらけの杭のようになって耐える。 恐らく幹の芯まで冷え切っているのだろう。 他の形のよい落葉樹に比べ、冬の姿があまりに不格好なので、可哀相にも思うのだが、翌年の晩春、強靱な芽が吹いてくるのだ。
それからはすごい、、、1年の半分が既に過ぎようとしていることを、周囲に知らしめ、お前は何程の仕事をしたのか、と問いかけるがごとく、どんどん伸びて華やかな花を咲かせる。 こちらも急かれる思いで仕事をする。
夏の終り、こうして百日紅の樹影を見ていると、長い年月、樹木にも喜びや苦しみがあったのではないだろうか、と思えてくる。 密かな喜びに小躍りしたり、無念の思いを噛み締めて耐えたり、、何回も樹皮を剥いで、その度に生まれ変わり、いつの間にか、それなしには庭の落ち着きが得られないほど風景に収まってしまった。 私は自分の喜びや苦しみから何を学び、それをどう育てて今に至っているのだろう。
ミソハギ科、百日紅、別名ヒメシャラ、、、

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7月の美術館

7月はあちこちの美術館を訪ね歩いた。 
まず府中美術館の「アートとともに(寺田小太郎コレクション)」を見にいって、大好きな山口啓介さんの「千の高原」に再会した。 野見山暁治さんの心の奥をかきわけるような「糸島の木」も、小野木学さんの祈りのような青い抽象も、改めてすばらしかった。 それに、寂しい駅や公園にベックマンを思わせる孤独な人間たちがいる、相笠昌義さんという作家の絵を初めて知った。 見る側は贅沢なもので、勢いがあるタッチの次ぎには緻密な筆遣いに惹かれ、樹木1本でも宇宙を感じるかと思えば、空間ににじみ出る作家の世界観に釘付けになったりする。 あらゆるスタイルの絵に出会ったせいか、自分は他の誰にも似ていない。 自分の仕事をやり通すことが大事で、結果は自然に決まるものだ、という思いを強くして帰宅した。
その後、愛知県美術館に「愛知曼陀羅(東松照明写真展)」を見に出かけた。 画面構成が劇的だし、白黒のコントラストは美しいし、何よりその場の空気を生々しく感じさせるのだ。 人や物が、そこに在ると同時に、その時代や土地の影を背負っている。 写真とは「かつて在って、今ここに無いという不在の存在を見ること」とカタログにあった。 どんどん複雑になっている現代に絵画は何を「見れる」のか、、と、ちょっと打ちのめされた気持ちで岐阜県立美術館「ルドンとその時代」展に行った。 岐阜と名古屋は近いのだ。
ルドンはもちろんのこと、ムンク、キルヒナー、マルケ、ベルナール、、、、次々と好きな絵や版画が出て来て、「絵画はやはりすごいなあ、、、」とつくづく。 人間の想像力は目玉に蜘蛛の足をはやし、古代の神殿にバラ色の雲を飛ばす。 繊細な花々は透き通った精神から溢れてきたばかりだ。 3つの美術館協同の企画展だそうだが、充実した内容だった。
そして月末は久しぶりで神宮前の色彩美術館を訪ねた。 菅原猛先生は、初個展から知っている、厳しくも、理想に貫かれた方。 小野木学の停車場の風景を見せて下さった。 見たとたんの没我状態、、「タイトル」を聞くことも忘れた。 小野木学は、抽象もいいけど、具象もいい絵だ、、、
アトリエにもどると、豊かな色彩やピシッと決まった構成の記憶で、満ち足りた気持ちになっている。 絵は本来そういうものなのだ。 いつの間にか全てが巨大化し、個人にとって酷薄なものとなり、うちに破綻を含んだ方法でなければ、「表現」にならない、等と、、、、辛い時代だなあ、、と思う。

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結核菌と私

 結核菌と私は浅からぬ縁がある。 母方の祖父は結核で亡くなっているし、父も、私が8才の時、結核で片肺の3分の1を切った。 父の膝に乗っていた私も、随分菌をもらったのだろう、、ツベルクリン注射の跡は赤く腫れた。
 私が12才になった時、好き加減が尋常じゃないと思ったのか、母は、豊中市在住の画家小出三郎氏のところへ私を連れていった。 氏は私の絵を見て、「この子は何か持っているようだ。 今からやれば、大丈夫。」とおっしゃった。 その日のことは忘れない。 庭にバラが咲きみだれていた。
 ところがその夢は、ほどなく、見事にしぼんでしまった。 小出画伯が結核になられ、刀根山病院に入院されてしまわれたのだ。 私は母に連れられ、当時はまだめずらしかったトマトを持ってお見舞いに行き、絵の道に進むことをあきらめた。
 その後、私の体内の結核菌は、高3の時ちょっと勉強をしただけで暴れだし、私はろく膜になってしまった。 皆は勉強しているというのに、4ヶ月も休学するハメになり、人生からドロップアウトしてしまったような気がして、私は本ばかり読んでいた。
 私が再び絵を始めたのは30才を越えてからだが、私には、自分に残された時間をいつも数えているようなところがある。 いつ何がおこるか分からない、と何だか思うのだ。 それも結核菌のおかげだと言えないこともない。
 
 

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