コロラドスプリングスの思い出

怠慢のせいでほったらかしになっていたH.P.の「作品意図」を、8年ぶりで書き足しました。 よかったら覗いてみて下さい。 昔、アメリカにスライドを送る際にConceptを求められて、何とか書いたのがもとになっています。 日本では、絵は絵自身が語るのであって、言葉で絵について語るのは敬遠されるのが普通ですし、私も以前はそう思っていました。 でも今は、特に私のような具象をやっている場合には、言葉にすることではっきり見えてくるものがありますし、伝わるものも違ってくるような気がします。 
スライドを送った先はWatermedia というアクリルや水彩の連盟が募集していた国際展、といってもアメリカ国内が中心で、海外からは4カ国ぐらいの小さな展覧会でした。 でもそのお祭りの期間に開かれたアクリルの講習会で、私はリキテックスのメデイウムの使い方を詳しく教えてもらいました。 アメリカという国は描く手段としての実際的な知識を惜し気なく教えてくれるんだな、と驚いたものです。
ロッキー山脈とコロラドの大平原、青い空とマグリットの巨大な雲、3人前はあろうかというフライド・ポテトとフライド・オニオン付きのあばら骨のステーキ、30人のアメリカ人と朝から晩まで描き続けた3日間、、色々思い出します。 日本人である私にとってコロラド・スプリングスが遠い存在であったように、彼らにとっても日本は遠い存在でした。日本料理は「酢豚」のような味ではないことや、日本女性はもう丸髷は結っていないことを説明しなければならなかったので、、まあ、私の方も同じようなもので、コロラドスプリングスを「大草原の小さな家」の中の「初めて汽車が開通した場所」としてしか知りませんでしたから。
最近、映画にもなった「コールド・マウンテン」の本を読んで、久しぶりにコロラドのことを思い出しました。 ルイーズ・カデラック先生、今もアクリルを描いていられるのは、あなたのおかげです。

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「絵を印刷する」ということ

「ヒポカンパス」の体験で言っているのではないが、一般的に「絵を印刷する」ということがどういうことなのかを詩人に伝えるのは、案外難しい。 詩や文章は、気に入った書体や配置はあるにせよ、誤植さえなければ、ともかくも意図を正確に伝えることが可能だからだろう。 たぶんそれは、「詩を翻訳する」ということが一番近いのではないか。
「内容はほとんど伝わっているから、語尾は気にしないで。」「どうせ翻訳ということは承知なんだし、本物を読みたければ、日本語で読んでもらえばいいから。」
と言われて、詩人は説得されるのだろうか。 でもこれとよく似たことがごく普通に、そして悪気なく言われるのだ。
「翻訳」ということを始める以上、もちろん妥協せざるをえないだろうが、「どこを、どう妥協するか」が大問題。 印刷されてしまったものを未練たらしく見つめながら、「あの時、もう一言、言うべきだった、、、」等と後悔している自分はつくづく救いがたい。 たぶんそれは、自分の中の物差しが一旦狂ったらお終いだ、という恐怖に裏打ちされているからだろう。 だがそれも結局は「ベストは尽くした、、」と自分を納得させるしかない。 いい翻訳者はそう簡単には見つけられないし、費用もかかるのだ。
でも詩人の皆さん、ぜひご自分の詩を外国語に翻訳してみましょう! 

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「パルナッソスへの旅」

相澤正一郎さんから「パルナッソスへの旅」H氏賞受賞の知らせが届き、私も本当にうれしかった。  詩集の表紙に使っていただいた絵は、「かれらのなかに土があった」という題で、パウル・ツエランの詩から引用した。 4年前の冬、ポーランドのクラコフに行った時、樹木の高さに驚いた。 日本の樹の2〜3倍もあろうかという高さの樹が、枝をからめ、コケを纏い、ー10度の冷気の中に立っていた。 一時は地図上から消えたというポーランドの複雑な歴史と、我々人間の愚かな行いを、ずっと見つめてきたのか、と私は頭の下がるような気持ちで樹木の間を歩き、樹皮に触れてみた。 冬日は差してはいたが、とても遠く感じた。
詩集ができあがった時、「書肆山田」の印刷がすばらしく、ほぼ原画どおりの空気でありがたかった。 それ以上に、相澤さんの「言葉とご自身との間にある距離感」が好きだった。 私たちはもう事物に対し、触れてはいても、本当には触れていない。 「今朝もお鍋のスープをかきまわし、出がけにちょっとけつまづき、、、」 でも私はどこへ行こうとしているのか。

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現代美術館ー転換期の作法

雨の日に、「現代美術館ー転換期の作法」を見にいった。 ポーランドの作家たちのビデオ作品がとても面白かった。ジミェフスキの ‘Our Songbook’ は、ポーランドを離れ、イスラエルに移住した人々を訪ねて、彼らの記憶に残る歌を歌ってもらう、という映像だ。 寝たっきりで、最初、ほとんど会話もできなかったおばあさんが、だんだん記憶の焦点が合ってきて、外国の侵略に対し戦おう、、という歌詞の国歌を歌い始める。 彼らの顔の皺、もどかしげな表情、故国を見つめる遠い目、哀しみの記憶、、、まさに映像ならではの手法だ。 昨年見る機会のあったパレスチナ・イスラエルを映像でたどるドキュメンタリー「ルート181」のことも重ねながら見た。 そして体験はなくても、私達現代に生きる人間にとっての「移民」の普遍性、ということを考えた。
もうひとつ、ポーランドの4人グループ、「アゾロ」の<全てやられてしまった>も現代美術の本質をついてなかなかだった。 4人は次回の作品について相談を始める。「何かまだ誰もやってないこと、あったかなあ、、、」と、思いつくものを次々に挙げるのだが、、、、みんな既にやられているのであり、見たことある、のである。 彼らの母国の巨匠、S. レムが「高い城」の中で鋭い批評をしているように、現代美術が苦しんでいるということは自明のことだが、アゾロはそれを「自分たちを笑い飛ばす」という戦略で差し出す。 「どこか、力のない笑い」だが、それは私たちが生きていくための、最後の、切ない手段なのかもしれない。 

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祭りの後

「ヒポカンパス詩画展」が終わりました。 いらして下さった方、ありがとうございました。
独立した表現である詩と絵を、一緒に展示することは、既にリスクを含んでいます。 それを承知でやってみたわけで、結果は、、、、「面白い!」という方あり、「無理!」という方あり、、、、でもこれまで知らなかった多くの方に作品を見て頂き、「白衣」という不思議なものを追っている意味を少し分かっていただけたことは、うれしい限りでした。
個展の後はいつも空っぽです、、、、もともと白衣の中は空っぽだから、今ぐらい自分の絵がしっくりくる時期はない筈なのですが、どうも違う。 どうやら思っていた以上に色んなものを投入していたようで、今は考えることができません。 ただ一日中ぼんやりしていたい。  
詩の方は、どうなのでしょう? たとえばひとつ詩集が出来上がった時、充実感と敗北感の入り交じった空虚な気持ちをどのように扱っていらっしゃるのか、、、 それでまたひとつ詩ができるようなタフな方がいらっしゃるのかなあ、、、 
 

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「ヒポカンパス詩画展」

 展覧会の搬入まであと一週間。 こんなこと書いてていいのか、、と思うのだけれど。 
 「漂流する恒星」の小さなエスキース20点を最初に描いたのは ’04年の8月。 それまでは120号〜150号位の比較的大きな作品を時間をかけて描いていたので、20号〜30号という大きさに慣れるのに年内かかってしまった。 要するに何をやっても気に入らない状態が続いた。 
 でも ’05年の1月にやっと突破口を見つけて、それからは1ヶ月2点のノルマを課して、描き続けた。 時々失敗しながらも、、東京の街のあちこちに、白衣を飛ばしたり、落下させたり、綱渡りさせたり、、最後はふらふらの自分そのままに、歩かせて、、それも、そろそろ終りに近づこうとしている。
 秋〜冬にかけて、それまでの作品に、岡島さん、水野さん、相澤さんが詩を書いて下さった。そしてそれを大杉さんが編集して下さったのを、先日、初めて見た。 詩と絵が、お互いの境界線を越えるのではなく、それぞれ単独では行き着かなかったまったく別の世界に行くのだと分かった。  
 「ヒポカンパス詩画展」、ぜひ見て下さい。 

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一段落して

やっと絵が一段落したら、先回から二ヶ月以上経っていた。 一月末の「ヒポカンパス詩画展」のために「漂流する恒星」のシリーズを描いているが、15点終えてかなりバテてきた。 時々「プロジェクトX」のナレーションを真似て、「限・界・が・近づいていた。」等と言ってみるが、あまり元気は出ない。 10点を越してからは、何か新たなきっかけを求めて東京をほっつき歩いてもみたけれど、最後はやはり自分の心の中、ひりひり独りぼっちの空気を求めている。 新宿や渋谷の歩道橋の上に居ると、特に夕暮れなんかは、容易にそれが満たされる。 東京は過酷な街でもある。  
東京国際フォーラムが好きだ。 「バブル期の象徴のような建築で嫌いだ。」という人に会ったことがあるが、あの巨大な船底を見上げていると、ひとつひとつのネジが見え、それを締めた人々のことを考える。 「プロジェクトX」の世界だ。 そして、それが元はと言えば、ひとりの建築家の「途方もない夢」から出発していることに、打たれる。 

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ユーモアの話

 恋人であれ夫婦であれ親子であれ、たとえ単なる同居人であっても、共同生活を営む人が持っていてほしい、最低、かつ絶対の条件は、人によって様々だろう。 私の場合、それは「ユーモア」である。「だじゃれ」はあまり好きではない。 鈍いのか、真面目すぎるのか、すぐ笑えないのだ。「ユーモア」の場合は、記憶の中に大事にしまっておいて、お気に入りを時々思い出し、クスッと笑って元気を出す。 ずっと悩んでいることの中には、笑っても解決できない問題もあるけれども、笑うと、何だかたいしたことじゃなく、解決できそうな気がしてくる問題もあるから不思議だ。
 最近の絶品は、「永遠のマリア・カラス」の中にあった。 マリア・カラスの長年の友人でもあるプロデューサーが、晩年の彼女の映画を撮ろうとする話だ。 映像は現在のまま、声は絶頂期のものを使って。 カラスも承諾して、莫大な費用をかけて「カルメン」の撮影が行われた。 にもかかわらず、全て終った後、カラスはフィルムを破棄してくれるよう彼に頼むのだ。 やはりこれはまやかしだわ、と。 彼は「正直者は困るよ」と言った後、やや間を置いて、「他に欲しいものは? 僕の腎臓? それとも肝臓?」と言う。 これにはまいった、、、ギリギリの瀬戸際でこんな言葉を言える人、尊敬します。   

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3尾の金魚

 4年前、金魚を3尾飼い始めた。 黒の混じった出目金、動きのすばやい元気者、尾ひれの優雅なおっとりさん—それぞれエンゾ、ジャック、ジョアンナと名付けてかわいがっていた。 エンゾは少し大きめ、他は小さかったので、なかなかぴったりの名前だと思った。 3尾とも気持ちよさそうに泳ぎ、小さな「グラン・ブルー」の世界に、しごく満足しているようだった。 
ところが、小さい2尾はコメットという種類で、どんどん成長し、2年後にはジャックは20cm、ジョアンナ15cmになって、8cmのエンゾは遠慮しいしい泳ぐありさま、、、しかたなく水槽を大きなものに替えた。 名前もジャック親分、ジョアンナ兄居、エンゾ松とヤクザの世界になり、ジョアンナは性転換させてしまった。 
でも昨年の6月の暑い日、ジャックが死に、先日エンゾが死んだ。 大きな金魚が腹を見せて浮かんでいる様はショック以外の何ものでもなく、私はあわてて庭に埋めた。 1尾だけになってしまったジョアンナを、何を考えているのかなあ、、、と、ぼんやり見つめている。
金魚のひるね
( 作詞者 鹿島 鳴秋 作曲者 弘田龍太郎)
赤いべべ着た
可愛い金魚
お眼(めめ)をさませば
御馳走するぞ
赤い金魚は
あぶくをひとつ
昼寝うとうと
夢からさめた

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「ライオンと魔女」

ご存じの方も多いと思うが、「イヴの娘」というのは、「アダムの息子」と共に、C.S. ルイスの「ライオンと魔女」に出てくる「人間」の別名だ。 ナルニア国に住んでいる、動物たち、妖精たち、フォーンやシレノスなどギリシャ神話に出てくる半身半獣の生き物たちにとって、人間はなるほどそう呼ばれるのも当然だ、と中学生の私は納得した。 あの本は他にも色んなことを教えてくれて、イヴがアダムの最初の妻ではなく、リリス(Lilith)という妻が既にいたのだ、と知った時は驚いた。 人間を「種」として意識した経験は、その後、SFにはまる時期を経て、今の私に大きな影響を与えているように思う。 来春、「ライオンと魔女」の映画が封切られるとのことだが、自分にとって大切な作品が映画化される、というのは、期待と不安の混じった複雑な心境である。

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