「水引き」

水引きが、たどたどと伸び、節のところどころに、紅いものが目立ち始めた。
水引きは、ごくありふれた蓼科の植物で、日陰に群生する。小さな花弁のように見えるのは、実は萼で、上から見ると紅く、下から見ると白いところから、紅白の水引きになぞらえて、名前がついた。上下白いものもあり、「ギンミズヒキ」と呼ばれ、それはそれで品格がある。
葉は両方尖った楕円形で、我家のものには黒斑があり、皆、そういうものかと思っていたが、ないのもあるらしい。墨でひと刷毛のせたような、その「徴」は、どんな小さな葉にもついているので、早めに見つけ、庭中に蔓延るのを防いでいる。
群生している水引きには、連なった緑の葉に黒斑が散り、紅い点線がリズムを作って、「集団」としての美しさがある。しかし、一、二本採って、黒い籠などに活けると、何とも凛とした空気を作る。「か細さ」は、個として存在する「強さ」をも、伝えてくれるものだ。
秋も深まると、萼の下が膨らんで、実がつき、燃えるような紅になる。
枯れる直前の水引きは、やることをやり、充ち足りて、もう「か細い」とは言えない。

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「珈琲」

珈琲が好き—珈琲を味わう時間が好きだ。よい場所の、よいカフェで味わう珈琲に勝るものがあるだろうか。本当は毎日出かけたい。だが、そうもいかないので、自分で点てる。昔はゆっくり座る暇もなかったが、今は体力がなくなった分、時間が増えた。苦味の強い珈琲が好きなので、胃のためにも、一日一回、午後遅く、と決めている。うまく入れることが難しくて失敗を重ね、結局は「豆につきる」と思っている。
いい豆をゴリゴリと挽く。ネルドリップの支度をする。挽いた豆を熱湯で充分膨らませる。お菓子の用意をする。お湯を細く、とぎらせずに注ぐ。その過程全てが儀式めいて、そのことで救われている。ともかくも昨日があり、今日がある。
部屋中に珈琲の香りが漂うと、「コロンビア産ウィラ・スペシャル」、「グァテマラ産ラ・リベルタード」と、豆の名前を呼んでみる。人々の汗と労苦を経て、はるばると私のところへ来てくれた豆だ。
部屋は、夕方が近づくにつれ、しだいに西日が満ちてくる。西日は暑いので嫌う人もいるが、私はブラインドの隙間を通過してくる、低い光線が気に入っている。部屋の物全てに影ができ、全体がアウトフォーカスになる。
その日の気分で CD を選ぶ。雨の日は乾いた音、落ち込んだ時はともかくバッハ、絵が難航している時は、こちらの気分も荒れて、それなりにハードなジャズ、、、
私にとって珈琲は、描くことから逃れての、つかの間の休憩であり、考えを纏めるきっかけであり、疲れ切った状態に、もうひと踏ん張りのカンフル剤である。様々な精神状態の、どの自分にも、しっくりなじんでくれる。その昔、珈琲なしでどうやって日々を送っていたのか、不思議な位だ。
一杯の珈琲と共に、これからも何とか、、、

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個展を終えて

10回目の個展が終りました。 お忙しい中を京橋までいらして下さった方、ありがとうございました。 3、4年ごとにやっているはずなので、3回続けて見ていただくと、ほぼ10年見続けて下さることになり、まったく存じ上げなかった方が一言二言話して下さるようにもなって、感慨深いものです。 
美術館の学芸員の方や美術評論家の厳しい目が注がれる時は緊張するし、日頃は忙しく、なかなか会えない友人との再会はうれしいし、たった2週間の個展といっても、実は色んなことがあります。
いつの間にか戦友のようになってしまった絵描きの人も何人か来てくれます。 お互いにまったく違った絵を描いているので、とことんツメてしまえば決裂してしまうかもしれなくても、何故かそうしないで、何年も付き合っています。 抽象であれ具象であれ、できるだけ自分に正直に描き続けていると、どんな人でも、その人だけの世界ができてくることを認め合って、続いてきたのでしょう。  
絵の前ではその人独自の言語が話されているわけだから、「素の自分」にもどって、まずその人の言語に耳を傾ける、、、それは当り前のようでいて、案外難しいマナーです。
個展の一番の意義は、2週間、自分の絵を見続けること、様々な人の反応、苦言や賞賛の一つ一つを思い出しながら、見続けることです。 すると自分自身に、自分の言語の構造が少し見えてくる、、、そのことにいつも驚きます。

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放逸、放散、放擲、そして放心

個展直前だ。 ずっとその中にいた絵は終ったのに、新しいヴィジョンはまだない。 空白で不安定な状態だ。 ブログに関しても、とりたてて何も思い浮かばないので、64号で一旦休刊となった「るしおる」から鈴村和成氏の見事な詩を、、、これまでに経験したことのない瞬間を捉えて、名付ける行為、、、それを積み重ねていくこと、、、結局私たちのできることはそれではないだろうか、と思えてくる。
放散—、             鈴村和成   
わずかに
引いている、とおい
鉄の一族か
片がわの頬だけに
焦げあとが、粉末が
それは
放逸だな
くろずみ、
はやまるよ
はれものや
バーベルに、ひやひやと
ちらばる、手をつかねて
鉄分の、それは
放散だな
さわいでたんだよ
いびつなのがいいんだって、
だってさ、砂鉄が
てんでんばらばらに
それは
放擲だな
ブラインドが
あいている、あてずっぽうで
鉄道でいいかな
かいなでだってね
遠心か、くれてゆくんだ
それは
放心だな

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個展のお知らせ

個展をします。 ブログ上で、一足早くご案内申し上げます。 
今回は鉄塔のシリーズを描きました。
 井上 直 展
5月12日(月)〜5 月24日(土)
 11:30〜19:00(最終日17:00 まで)
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 私は地図を描こうとした。
「見晴らしのない惑星」* と呼ばれた場所の地図を—
   
* 私が今いる場所は楽園だ
  楽園とは衰弱の場所のことだから
  ここは見晴らしのない
  惑星の一つだから
   ヨシフ・ブロツキー、『ケープ・コッドの子守歌』(1975)
  (沼野充義訳、『世界文学のフロンテイア3』岩波書店、1997) 
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「V字鉄塔のある惑星」
   大:194cm×390.9cm (キャンバスにアクリル)2007年 
   小: 60cm×72.7cm (キャンバスにアクリル) 2006年

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「賭け事」

好きな人にとってはワクワクするような楽しみ、一方、関心のない人には何が面白いんだか、まるで理解できない—賭け事とはそういうものだ。 人生を狂わすような大博打からちょっとしたゲームまで、世の中には様々な勝負がある。
私の父は賭けが好きだった。 勝敗にはこだわらなかったが、碁、将棋、ゴルフ、マージャン、ブリッジ、何でもやり、強かった。 真面目な母はそれが嫌いで、「遊んでばっかり、、、」と、手厳しかった。
ある時父は、四歳の私を競馬場に連れていった。 当然母には内緒だったが、私が幼稚園で「お馬の動物園」という絵を描いて貼り出され、バレてしまった。 そういう話が父には沢山ある。
兄弟のように育った同年のイトコが居て、「R伯父さん」と、うちでは呼んでいた。 伯父さんはお金持ちで、青山に住んでいた。 父の死後、懐かしそうに語ってくれた話では、伯父さんの自宅は既にマージャンのカタとして父のものであり、「仮に住まわせてる」というのが、二人の間の冗談になっていたらしい。
春が近づいてくるこの時期、父のお気に入りの賭けは、「四月以降、果たして雪が降るか?」というもので、父は必ず「降る」という方に賭け、「ここ何年も負けたことがない。」と自慢していた。 そして、ちょっといたずらっぽい目で「ただしね、この賭けは三月のポカポカ陽気の日を選んで、持ちかけるのがコツなんだよ。」と付け加えた。
ここ数年の気候の変動は父も予測できなかったろうから、仮に生きていても、早晩賭けには負けていただろう。 しかし父の賭けは、いつも楽しそうに生きていた、その人柄と相俟って、死後18年経った今も忘れ難い。
毎年三月のポカポカ陽気の日には、誰かにふと、この話をしてみたくなる。

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「鈍い色」

鈍い色、、、と考えると、まず「グレー」が頭に浮かぶ。 朝日新聞社編「色の彩事記」は、私の大好きな本だが、それによると「グレー」と言っても、日本には実に様々な色がある。
「薄墨」、「素鼠」という無彩色を表す色の他に、「梅鼠」は紅がかった灰色、「紫苑(しおん)」は紫の入った灰色だ。 「減紫(けしむらさき)」になると、もっと濃い。 「鈍色(にびいろ)」は少し緑味のある灰色、濃くしていくと「鉄色」になる。 「卯花色(うのはないろ)」はオフホワイト、「白鼠」とも言う。 灰色の薄い色は「浅鈍(あさにび)」あるいは「薄鼠(うすねずみ)」と呼ばれる。 「銀鼠」は銀のような鼠色。 明るい茶が混じると「砂色」。  そして「深川鼠」は水色がかった鼠色だ。  「橡(つるばみ)」はどんぐりをつき砕いた汁で染めた色、「生壁色」は乾かない壁のように、茶色味や緑味を含んだ鼠色、「利休鼠」は白秋の「城ヶ島の雨」にも出てくる、緑味のある鼠色。 その他にも「桜鼠」「臙脂鼠(えんじねず)」「暁鼠」「牡丹鼠」「小豆鼠」、、、と、いくらでもある。
ただ「グレー」だけに絞っても、これほどあるのだ。 それは日本人が「グレー」に混じったほんの僅かの色を感じとって、楽しんできた、ということでもある。 澄んだ色に比べて鈍い色は地味だけれども、年と共に好きになる。 丁度、日本料理の中の、栗の渋皮煮、フキノトウの天麩羅、秋刀魚のはらわた等、子供の頃には分からなかった味が、後に好物になるのと同じように、経験を積むにつれ、複雑な味わいを楽しめるようになってくる。 
日本にはどうしてこんなに鈍い色が多いのか? それは日本人が明度、彩度、色相という分類ではなく、日常生活や自然を元に色を作り出してきたからだ。 具体的な事物、あるいはイメージは、時間を経るにつれ、それぞれの心の中で重味を増してくる。 もともと「美しい色」というものがあるわけではなく、分量と配分でお互いを引き立て合って美しくなるのだ。 鈍い色は澄んだ色を際立たせ、逆もそうである。
また、日本料理には「かくし味」というものがあり、お汁粉に塩を、茶わん蒸しに白醤油を、ぬたの酢味噌に芥子を僅かに潜ませ、味に深みを加える。 自己主張の強すぎる色も、ほんの少し鈍い色を加えただけで、深みを増してくるものだ。
鈍い色、、、と考えると、私はいつも、日本という国にも確かに「文化」があった、と感じ、それがほとんど消えてしまったことを残念に思う。

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「エンピツの夢」

アンジェイ・ワイダの「地下水道」が撮られた時代、中井正一の「『土曜日』巻頭言」が書かれた時代は、当局の検閲が厳しく、自分の考えをそのまま表現することはできなかった。 彼らが使った「隠喩」や「象徴」の力を私たちはすっかり忘れてしまったのではないか、、、と、2008 年の幕開けに考える。 
というのも、暮に聞いた歌が、曲は好きなのもあったのだけれど、歌詞があまりに「そのまんま、、」で、うんざりしてしまったからだ。  
そんな折、チェスワフ・ミウォシュ著「ポーランド文学史」(未知谷)の中に、次の詩を見つけた。 
皆さんの初夢はどのようなものでしたか?
   
 「エンピツの夢」    ティモテウシュ・カルポーヴィチ(1921〜2005)
                        沼野充義 訳
エンピツは服を脱いで眠りにつくとき
硬く心に決める
こわばって
黒く眠ろうと
そのとき頼りになるのは
世界中のどんな芯も生まれつき
曲がらないようにできているということ
エンピツの背骨の芯は
折れることはあっても 曲げられない
エンピツは決して 波や髪を
夢に見ないだろう
夢に見るのはただ 直立不動の
兵士たちか それとも棺桶だけ
エンピツの中にあるものは
真っ直ぐだが
エンピツの外にあるものは曲がっている
おやすみなさい

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「描く道具としての鉛筆」

鉛筆は、今こそ「道具」と呼ぶにはあまりにも素朴で、ありふれたものになったが、ヘンリ・ペトロスキー「鉛筆と人間」(晶文社)を読むと、三千年以上も昔、古代エジプトの時代から、人間が工夫と発明を重ねて、鉛筆を今の形にしてきたことが分かる。 鉛筆も立派な道具の一つだ。
鉛筆は置くと点になり、引くと線になる。 それを面にするために、同じ角度と同じ力で平面を埋めていく。 心を静かにして手を動かしていると、時間を忘れる。 自分が「時間」の外に出てしまったような不思議な感覚だ。 私はこの素朴な道具だけで、十年間絵を描いていた。 道具も人間と同じなのか、長く付き合ううちに、当初の美点が欠点にもなり、欠点が逆に美点に変わったりする。
鉛筆で作品を描いていた時、大きなものになればなるほど、「仕上げるのにどの位かかりました?」と聞かれた。 例えば「三ヶ月。」、あるいは「五ヶ月。」と正直に答えると、「、、、そうでしょう、、、」と、相手は納得したように頷いていらっしゃる。 ああ、、、五秒で描いたデッサンでも、いいものはいいのだから、このような質問をされること自体、絵が悪いからだ、、、と、こちらは落ち込むが、相手はけなすつもりではなく、むしろ感嘆していらっしゃるようだ。
鉛筆という道具は「時間」を目に見える形で呈示する。 それは鉛筆の強みであり、危険なところだ。 「内容に」ではなく、「かけられた時間に」感嘆されてしまう。 構想の段階でこそ色々苦労はあるものの、一旦描き出してしまえば、時間を忘れて手を動かし、そして出来た作品は、まぎれもなく「力作」ということになる。
アクリル絵の具に移ってからも、私は鉛筆を使い続けてきたが、それが果たす役割はかなり違ってきた。 アクリル絵の具は、水彩なのに強度があり、速乾性があり、応用範囲が広い。 薄塗り、厚塗り、エアーブラシ、、、どんな風にも使える。 下地のヴァリエーションも豊かだ。 他方、絵の具の色が浅はかというか、そのままでは深みに欠ける。 鮮やかな色が好きな人は辛いかもしれない。 私の場合は、もともと日本画に使われるような鈍い色が好きだ。 色に対してあまりに喜びを感じるので、抑制して使いたい。 何度もレイヤーを重ねたり、何色も混ぜたりして色をコントロールする。 そういう私にとって、マチエールの対比として、鉛筆の「鋭さ」、「柔らかさ」、「軽さ」、「繊細さ」はありがたい。 最近は、それに「心細さ」や「苛立ち」も加わった。 始めた頃は、心を「安定」させ、じっくりと「辛抱」して、鉛筆と付き合っていた人間が、「心細さ」や「苛立ち」を表そうと同じ道具を使っている。
今、鉛筆はしだいに過去の道具になってきている。 小学生の筆箱には、今なお鉛筆しか入れてはいけないそうだが、中学生になると、シャープペンシルとサインペンが主流になる。 大人の日常生活で鉛筆を使うことはほとんどない。 しかし、絵の中では、マイナーな存在である鉛筆だからこそ、できる表現というものが、まだある、と私は思っている。 社会の中で個人が置かれている状況を考え、絵がその個人と繋がっていこうとして描かれていくのであれば、「マイナーな存在」であることは、必ずしも悪いことではない。

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「野分き」

一年のうちで最も好きな季節は、晩秋から初冬に至るこの時期だ。 「野分き」から「木枯らし」と呼び名を変えて、独特の風が吹く。 この風によって秋の雲は流れ、枯葉は吹き散り、落葉樹は裸木になる。 この季節が好きなのは、この風と「線」だけになった樹木たちのせいだ。 
風と樹木に会いたくて、これまで帯広平野やポーランドの雪原へ、訪ねた時期はいつも冬だった。 枝の間を風がかすかな音をたてて通り抜ける。 どこから来たのかと空を見上げる。 遠くからはるばると渡ってきたような風に出会うと、身体中が浄化されるようで、気持ちが大きくなる。 「颯爽」という言葉に「風」の字が入っているが、とどのつまり、私は吹っ切れて爽やか、かつ勇ましい人になりたいのだ。
海のそばに住んでいた人なら、風は波と結びついているだろうが、私はいつも川のそばに住んできた。川面はさざ波立つことはあっても、うねることはなかった。 うねっていたのは群生のススキ。 強風の中で、銀の穂が左右に揺れる様子を飽きずに眺めていた。 もっと吹け、もっと吹け、、、と、思っていた。  
今も秋に一度は、風の強い日を選んで川に出る。 ススキというのは動きに美しさがあるので、描くのは難しい。 一瞬のきらめきを捕らえた写真にかなうはずもない、と、あきらめてはいても、その光と影の交差を見たくて探しにいく。 ススキを見ながら風を見ている。
身体が冷えきった帰り道、ふと、福島泰樹の歌を思い出す。
   
 淋しくてならねば「野分酒場」まで転がって来い風に吹かれて (茫漠山日誌・壱)
「野分酒場」か、、、いいなあ、男の人は、、、独りで飲んでサマになる。 そう思いながら、そそくさと帰り、紅茶を飲んで、、、私はまた描くしかない。 

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