赤提灯の音

その会が開かれたのは 誰も知らない下町の
赤提灯の中だった
自己紹介よりも先に 大皿に盛りつけられた
大量の鮮魚の切り身や貝の盛り合わせが
次々と 運ばれてきた
私たちはその魚たちが どんなルートで
テーブルの上にまで 辿り着いただけを語って
決してそのメニュウの名前を
明らかにしないでも 分かり合えた
赤提灯の中が 酒にほだされて
益々赤く 色づき始めると
私たちはそれぞれ持ち寄った「音」について
話し始めた
一人は日本の鏡が忘れられなくて、と
微笑み
一人はギターを抱いたら酒に溺れて流される、と
言い出し
一人はヤクザな敬語のジャズを弾ませ、
一人は都会のバカヤロウ、と、
泣き出した
最後まで音を隠していた老齢の若者が
ハーモニカを 吹いた
 その音は 日本の鏡を称え
 その音は 酒場のギターにも鳴り響き
 その音は まるでジャズのような敬語
 その音は 愛すべきバカヤロウを愛せ
寡黙な饒舌は 一人一人に降りしきり染み込ませ
浅い眠りを深くして 各人が持ち寄った音の
七オクターブ先を 静かに駆け抜けていった
  誰も 何も言わなかった
  誰も 何も言えなかった
そしてハーモニカを吹いた彼は ひとこと
「僕は身近な音しか 出せないのです」
——–あとは照れ笑い
名もない街の四角いテーブルを囲んで
長丸の赤提灯を見るたびに 
人はそれを一期一会と呼ぶ
再会の約束をしながら その保証書がないことが
哀しいくらいに身軽であることを知りながら
私たちは 手を大きく振り合った
来年 再来年
過ぎ行く時間の中で 私たちに保険証は無かったけれど
私たちは身近な音で語り合う 確かな赤提灯だった

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