黒い手袋

トイレで赤い卵を流したあと冷蔵庫から野菜ジュースを取り出そうとして
玉子を床に二つ落として割れてしまった。かろうじて玉子の形をとどめた
まま中身は放り出されなかったので、フライパンで割れた玉子を溶かして
目玉焼きにした。黒いフライパンの底から二つの目玉が私を睨んでトイレ
で、さっき流した卵たちについて意見する。煩いので黒コショウピリピリ
に撒いて黙らせて、白米お茶碗一杯分と一緒に平らげてやった。
              ※
お腹の中で、私のお腹をすかして見ている目玉焼の目玉たちが、私の頭の中を
キョロキョロと見渡し頭部から、黒い手袋を見つけ出して、ニヤニヤした目を
向ける。それは粉雪の舞う日に、遠い町のコンビニの前の、排水溝から地上に
向かって三本の指を立てている、婦人用の真新しい手袋だった。その日限りの
寒さを凌ぐ為にデートか何かの用足しに見栄えの張った少し高級な手袋の片手
は、もう除雪車に泥をかけられその場限りの使用品で購入されたものだと一目
でわかった。コンビニを出ていくサラリーマンが、知らずにその手袋を踏みつ
けると雪が手袋ごと凍結したせいか、滑って転倒しそうになる。次にヒールの
女性の踵が排水溝の囲いの網の目に挟まって、蹴躓いて倒れこむ。
黒い手袋は誰かを待っている。誰でもいいのかもしれないし、黒い手袋のもう
片割れかもしれない。
けれど、安易に買われて冷たい外景に放り出された「かなしみ」は尖ったまま
突き刺さって地下へと、人間の足首を掴んで、引きずりこもうと容赦はない。
「にくしみ」は吹き叫ぶ。「かなしみ」突き刺さる。凍える吹雪の中を白い
風景に揉みくちゃにされながら、黒い手袋の周りに渦を巻くその黒い怒りは
一層際立って、私を見据えて私を燃やそうとしていた。
                ※
トイレで赤い卵を二つ、割って流してきた。冷蔵庫の扉を開いたら、突然割れた
二つの玉子。目玉焼きにして黒コショウで焼き上げたのに、口から私の身体の、
どこかに埋もれてゆく。あの遠い駅で黒い手袋を見つけた私の頭にのぼる目玉。
私は体の下腹部をさすり素手で言い聞かせる。
             /もう、メタファーで動く生活だけはしたくない。

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