おとぎばなし

大正元年生まれの祖母は、当時中学生だった私にはとても大きくて、
昔の家の水回りを守り続けるような人でした。
けれど、セイジ、とか、シソウ、とか、ヨロン、というものには無頓着で、
毎日お茶碗を洗うように、水に流して過ごしていきました。
父が祖母に、「おかあ、おやつ!」と言えば、
祖母は「これでもくろとれ!」といって、ブーーーーツッ!と、
一発、父に浴びせては、「屁は出で良し、鳴って良し!そこらの埃も、取れて良し!」と、
笑い飛ばすよな豪傑だったと、聞きます。
日本の教科書が、「はと」、「まめ」、と書ければ、女学生と認めた時代、
祖母の口癖は「千両蔵より子は宝」、でした。
けれど、平成二十七年。
祖母が死んで幾十年が経ち、おやつ、おやつ、と、
祖母の着物の裾を引っ張っていた父すら、世の中に追いやられていき、
とうとう寝込んでしまえば、無視できなくなった、
シャカイ、とか、シソウ、とか、ヨロン、とか、セイジ、とか、、、、。
介護保険を支払っているから、とか、よりも、ガイコクジンヘルパーを雇用しても、
人数が足りない老人大国、日本の国の片隅で、私の家は病院通い。
入院しても看護婦さんが、ツレナイのは、お金を握らせてないからだと、
どこぞの高級ホステスか倶楽部に通うかのように、錯覚していく父。
いいえ、本当はそういう仕組みになっていたのかのかもしれません。
とぼけてしまった父の話ですから、何とでも誤魔化せます。私も。病院も。
人の命が地球よりも重いなどと、教えた人は伝説になりました。
その説が本当の話であったならテンノウヘイカ、が死んでも、私が死んでも、
同じくらいの人が、同じ悲しみを持ってくれますか?って、
センセイみたいな人に聞いて回りたい。
例えば、お父さんみたいなおばあちゃんに。
ソウリダイジン、とかクニが決めた、ソシキ、とか、キギョウ、とかの
シホン、は、お金じゃなかったの?シホンと、キホンって、
どこですれ違っていったのかな?
「千両蔵より子は宝」って、言っていたおばあちゃんが消えた日、父はいい放つ。
「出ていけ!金さえあればお前の世話になんかなれへんわい!」
母が追い討ちをかける。
「私かって、お金さえあれば、あんたらの世話にはならんと、一人で快適に暮らせたのに!」
いつか、おとぎばなしに、なればいいのに。
蔵の建たない家の話。
役に立たない子供の話。

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